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佐久間マリのオリジナル小説ブログ 18才未満の方の閲覧はご遠慮ください

   
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チョコレイト・ラブ 42

42




 今やすっかりベイエリアのランドマーク的存在である大観覧車ができたのは、ちょうど梓と付き合い始めた年だ。日本一の高さだと話題になったのが記憶に新しいのに、もう七年も前ということになる。ゴンドラが頂上に差しかかる瞬間にキスをすれば、そのカップルは別れることなくずっと一緒にいられるという、いかにもありがちなジンクスに、ミーハーな梓は当然行きたいと言った。オープンしたばかりの頃は乗車するのに長蛇の列で、真冬の極寒の中、二時間ばかり並んだ覚えがある。運営側が話題づくりに吹聴した噂だとはわかっていたが、その一瞬にちゃんとキスをしたし、それによって裏づけられた幸せな未来を信じていた。
「まぁ、外れたけどな」
 今いる地上三十階はその観覧車のてっぺんと同じくらいの高さにある。ひとつ、またひとつと順番に頂点を過ぎて行くゴンドラを眺めながら自嘲気味に呟いた。
 おそらく、ジンクスの指示は頂上の一瞬だけというものだったのに、それから後の半周を、幅も長さも猫の額ほどベンチに押し倒してしまうほど濃厚なキスをしてしまったのが原因かもしれない。涙目になって怒った梓を思い出した。
「ワオ! 今日の春田さんはまた一段とカッコいいっすね」
 背後から懐っこい声がする。俺の姿を見たユキが目を輝かせて言ってくれる。確かに手持ちの中で一番高価なフォーマルスーツを着て来はしたが、目の前のユキこそ、今日はブラックタイできめている。胸元に飾った深いボルドー色のバラのコサージュが似合う男はなかなかいないだろう。
「今夜はよろしくお願いします。直子先生は?」
「控室でメイク中。相当時間がかかる模様です」
 ユキが肩をすくめる。会場の準備はすっかり整い、後はゲストの到着を待つのみとなっているが、パーティー開始までまだ二時間もある。ユキと簡単な打ち合わせを終えて談笑にうつった。ユキとは実はなかなかに気が合う。
「いい店ですね」
 海側が一面ガラス張りになった会場から大きく望める空に、だんだんと暮色が迫っている。
「でしょう? 夜景ももちろんいいんですが、夕焼けが綺麗な日はこの時間が最高ですよ」
「確かにこの夕陽は感動モノですね」
「カップルで貸し切ることもできるんです。女性はこういうのが好きですから」
 直子の使っている控室はホテルの客室のような設えになっているらしい。ベッド、バス完備ですよ、とユキはいたずらに口角を上げる。御用命はいつでもと付け足すことも忘れない。
 やがて、準備の整った直子が姿を見せた。もともとはっきりとした顔立ちの美人なので、気合いの入った今日などにはどこぞの女優かと思うくらいだ。ユキと並んでも全く見劣りはしない。俺には相変わらずの辛口で、挨拶をしたとたん、ホントにアンタだけはどうしようもないわ、と呆れられた。
「一緒に服を選びに行ったんだけどね、今日の神谷ちゃんは可愛いわよぉ。まぁ、アンタも今日はなかなかのもんだし、惚れ直してくれでもしたら万々歳よね」
「褒められているのかけなされているのか」
 直子はペットボトルのミネラルウォーターをストローで吸い上げながら、
「パーティーの仕切りはユキがいれば問題ないし、田崎なら私がなんとかするから途中で消えても構わないからね」
「先生、呼び捨てですか」
 梓ではなく俺の援護に回ってくれるのはありがたいのだが、全く期待に添えないことが申し訳ないのと同時に好意を無駄にすることにもなるので恐怖でもある。
 そのうちに、ぽつりぽつりと招待客が顔を見せ始めた。直子の交友関係が中心なので業界人をはじめ、ファッション関係のプレスやモデルなどが多い。今夜は受付にもユキが人を配置してくれているので特に主だった仕事はなく、どちらかというと俺自身も客である立場だ。それでも次々と訪れる客に声をかけ、簡単な挨拶をしながら会場内へ誘導した。顔と名前を一致させつつ中にいるユキにインカムで状況を伝える。
 開始まで十分を切った頃にようやく梓は現れた。コートを預け終えた梓の背後から声をかけると、まさに顔に花を咲かせたような笑顔で、然、と俺の名を呼ぶ。
 その装いは、直子の言った通り確かに文句なしにかわいかった。春を先取りするようなオレンジ色のワンピースはノースリーブで、裾に白とパープルの切り替えがある。髪はポニーテールだが、前髪も一緒にすっきりと引っ詰めた感じが上品でいて、毛先に弾む強めのカールはファッショナブルだ。しかしエスコートなしで来るとはどうしたのだろう。
「田崎先生は?」
「前の仕事が長引いてるから遅れるって」
「一人だと心細いだろ。ゲストが揃えば一緒にいてやれるから、ちょっとそこで待ってて」
「ううん、心配しないで。一人でも平気。もうすぐ田崎先生も来るし」
 そして、挨拶してくるね、とあっけなく俺に背を向けるので、思わず、「梓!」と、既に直子の方へと進めていた足を呼びとめていた。呼びとめたところで何をどうするのかなど考えずに。
「えっと……すごく、かわいい」
 梓は、ありがとう、とはにかんで、また前を向く。ポニーテールが揺れる。少し先で黒服のギャルソンから飲み物をもらうその左手にダイヤモンドが輝いていた。
 開宴の時間になり、直子本人の挨拶や友人の乾杯が終われば、立食形式ということもあって、早速会場内は早くも無法地帯と化す。喫煙組は外のテラスに移動し、ストーブを囲んですっかり腰を落ちつけているようだし、フロアで踊る者もいれば、ソファ席では合コンのノリで男女が数人盛り上がっている。梓は知り合いらしい女性と親しげに話をしていた。それなりに楽しそうなのでひとまず安心するも、やはり、田崎が来るまでは梓のそばにいてやりたい。そう思うものの、俺自身見知った顔も多く、また新しく紹介されたりと次から次へと声をかけられ、なかなか辿りつけない。
 しばらくして会場を見回したとき、梓の姿がないことに気づく。最近、人気ブロガーとして有名な読者モデルにブログ本の出版について聞かれたので、少し話しこんでしまった。慌てて彼女に断りを入れ、人を縫ってその姿を探すがどこにもいない。ならば外かと、今はひっそりと後方で沈黙を保っていた出入り口のドアを引く。受付のある狭いエレベーターホールに、梓はいた。
 申し訳程度の明かり取りの窓際は少し死角になっている。そこに隠れるように立って、一人ぼんやりと眼下を眺めていた。田崎の到着を待っているのだろう。
 防音扉を一枚挟んだだけのそこは、会場内の騒音が遠くに漏れ聞こえるだけで嘘のように静かだった。
 梓は間違いなく俺の存在に気づいていながらこちらを見ようともしない。
 名前を呼んでみたが、視線の先は変わらず、頼りない返事が返ってくるだけだ。
「遅いな、田崎先生」
「……うん」
「寂しい?」
 それに答えることはせず、梓は窓の外へと向けていた顔を僅かに上げた。
「ねぇ、あの観覧車……」
 覚えてる? と言葉の後に続いたような気がして、「覚えてるよ」少し歩み寄って、同じ窓越しに観覧車を見た。
「イルミネーションがね、たまにハートになるの。きっとバレンタインバージョンなんだね、かわいい。ほら」
 電飾は一色に留まることなく様々な色に変化をする。その中で一瞬赤とピンクに変わり、梓の言うとおり大きなハートが浮かび上がった。
「……嘘だったね、ジンクス」
 ぽつりと呟いた。どうやら俺と同じことを思い出していたらしい。
 すっかり別の道を歩みはじめている今、あの頃の甘い記憶をどう共有していいものかわからず、返す言葉が思い浮かばない。仕方なく話をすり替えた。
「田崎先生とは乗らないようにすることだな」
「……乗らない」
「うん」
「……あの観覧車は、乗れないよ」
 そう言って窓に寄りかかる。ガラスに映る顔に表情がない。酒に酔ったのだろうか、それとも疲れたのだろうか、と眉をひそめた瞬間、
「もう一度、然と乗りたかったな。だって、昔乗った時おもしろかったから」
 急に俺を向いて悪戯な笑いを浮かべた。
「あの、それ、あんまり思い出さないで欲しいんだけど」
 実のところ、俺は観覧車に乗るのは嫌だった。高所恐怖症なのだ。と言っても厳密には足元が不安定な所限定で、同様にロープウェイなども苦手だ。あの時は梓に誘われ、渋々乗ったものの、下などもちろん見られないし、途中でそれを知った梓が面白がって籠を揺らすものだから、腰は引けるわ冷や汗は出るわで情けないといったらなかった。
「乗る前に言えばいいのに、然ってばかっこつけちゃってさ。普段すましてるだけに笑えた」
 いつのまにか、声にも顔にも明るい色が戻っている。
「三月に発つんだって?」
 十分な間を置いてから言うと、梓はそれに反応してか左手の薬指を右手で包み、大事そうに隠した。
「引っ越しとか、なんかあったら手伝うし」
 言った傍から俺なんかに手伝れても嫌だよなぁ、と即座に自答し、冗談ぽく取り繕った。社交辞令のつもりはなかったが、元夫という自分の微妙な立ち位置を考えれば当然だ。しかし、梓は、
「ううん、その時は是非お願いするね。あ、家の本をどうしようかと思ってるの。全部持って行けないし。いくらか引き取ってもらおうかな。あと、お義母さんにもご挨拶に伺うつもり」
「わざわざ悪いな。でも、母さん喜ぶよ」
 その時、梓の手にしていた携帯電話が震える。
「メール……。田崎先生、下に着いたって」
「了解。先に中に入って伝えておくよ」
 最上階であるこのフロアに通じるエレベーターは二基だ。そのうち、一つのランプが点滅し始める。上昇しているのはおそらく田崎の乗ったものだろう。
「……然、本当にいろいろありがとう」
 その口調に何か含みを感じて、俺は弾かれたように梓を見た。曇りのない穏やかな笑みを湛え、梓もまた俺を見ていた。
「梓」
 会場へ入る扉の一歩手前で足を止め、その到着を待っている彼女を改めて呼んだ。確かに含みを持たせた言い方で。
 二人でこんなふうに話ができるのはこれが最後のような気がした。こんな俺だけれど、梓にとってバツにしかならなかった俺だけれど、出会ってから七年間、ずっと心にあり続けた真実だけは伝えようと思った。
「今度こそ幸せになれ。俺はどんなに遠くにいても、いつでも梓の幸せを願ってる。……結婚、おめでとう」
 別れても誰のものでもなかったから、梓は今も俺の手の中にいるような気でいた。守ってやらなければならないと勝手な使命感を持っていた。しかし、今度こそ俺の手をすり抜けて幸せに向かって羽ばたいて行く。
 油断すると泣いてしまいそうなのは、悲しいからじゃない。悔しいからでもない。
 梓の幸せが嬉しいからだ。
 それこそ俺の望むこと。そう言い聞かせて、踵を返した時だった。
「……でも、然、言ったよ。熱出した日、言った」
 背後から聞こえた声に足を止める。
 振り返ると梓が渋面を作っていて、ひそめた眉は怒っているのではない。その目に溜めた今にも零れんばかりの涙を堪えるためだ。
「梓? どうした……」
 駆け寄ろうとした足は、その後に続いた言葉によって止まる。
「あの日、私を抱きしめて……結婚するなって……言った」



 小さな受付カウンターがあるだけのエレベーターホールは、パーティーが始まっている今、会場の中とは別世界にように静かだ。
 到着を知らせるくぐもったベルがチンとなり、エレベーターのドアがまもなく開く。鼻唄を歌いながら登場した田崎は、今日はさすがにスーツ着用らしい。黒いジャケットの背中がその隙間から一瞬見えた。
「んん? 受付、誰もいないけど勝手に入っていいのかな? 入っちゃうよ。お邪魔しまーす」
 大きな独り言を聞いた後、辺りの空気が動くのを感じたかと思えば重い扉でせき止められていた中の大音響が決壊したように押し寄せる。
 沈黙を保っていた受付の装飾幕がかすかに翻ったその後ろで、息をひそめるように俺は梓を抱きしめていた。
 黒のベルベットのカーテンが優しい味方となって、俺たちを覆い隠してくれる。
「ユキ、ごめん。後は任せる」
 応答を待たず、インカムを耳から引き抜くと、扉から溢れ出したパーティー会場の狂騒に紛れて、田崎と入れ換わるようにエレベーターに乗り込んだ。


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