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佐久間マリのオリジナル小説ブログ 18才未満の方の閲覧はご遠慮ください

   
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チョコレイト・ラブ 43
43


 閉ボタンを押せばドアが急かされたように閉まる。それは機械的プログラムに従って指示どおりの働きをしているだけなのに、今は人為的な温かみを覚えた。一刻も早く、俺たちをここから逃がさんとばかりに。
 地上三十階からのスムーズな下降は、同時にどんどん現実から遠ざかっていくかのようだ。
 腕の中で囲ったままの梓は声も出さないが、息もしていないのではと疑うほどに静かだった。
 口こそ塞いでいないものの、動きを絡め取るように後ろから抱きしめた格好はまるで誘拐犯のようで、もっともしていることもさほど変わりはないといえる。しかし、密着した身体に強張りはあっても抵抗は感じられないし、すぐ目の前を通り過ぎた田崎に梓が助けを求めることはなかった。
 狭い箱の中に反響しているのではないかと思うくらいの自分の心臓の音を聞きながら、長いようでいて実は数十秒足らずの時間が過ぎる。行くあてもなくボタンを押した一階に到着した。
 このビルは二階に飲食店やコンビニエンスストアのテナントが入っている以外、後はオフィスで、人通りがあるのは駅と直結している二階のメインフロアだけだ。一階はまさにお飾りの玄関と成り果てている。今は照明さえ点ることなく、近隣ビルや街灯からの漏れ灯りを頼りに、がらんとした空間に置かれた中央のオブジェといい壁画といい、アーティスティックな空間には設えてあるものの、中途半端に高い天井が余計に寂しく、殺風景に映る。時折点滅するエレベーターの昇降ランプだけに唯一動きを感じることができた。とは言え、三十階ビルのエントランスとあってはいつ誰が来るかもわからない。さすがに抱きしめたままではまずいと身体を拘束していた腕を解いたが、代わりに梓の手を取る。
「……どこへ行くの?」
 手を引き、歩き始めた俺に、ようやく梓が口を開いた。その口調は慎重を極め、後ろに感じる足取りには冷たい拒絶がありありと表れている。
「ねぇ、私たち、何、してるの?」
「ごめん」
 それしか言えなかった。どこへ行こうとしているのか、何をしようとしているのか。俺自身、自分の行動が説明できない。
「田崎先生、来たのよ?」
「ごめん」
 梓が立ち止まったのでそれ以上無理やりに引っ張ることはせず、俺も足を止めた。しかし、そのまま振り返らず背中を向けたままの俺に梓が畳み掛ける。
「なんでよ? わかんない……。なんで?」
「ごめん」
「悪いって思うんなら、こんなことしないで!」
 だんだんと語気を強めた梓は、ついには俺の手を乱暴に振り離す。
「私は結婚するの! 然、おめでとうって言ったじゃない!」
「祝福してるよ。梓が幸せになるんだ。喜んで祝福する」
「そしたら、どうしてこんなこと……」
 声に切迫感を漂わせて、梓は俺の行動を心底分かりかねているらしい。何より俺自身が驚いている。ただ、この行動が気持ちに反していないことは確かだ。
 意を決して振り返る。梓がどんな顔で俺を責めるのかを見るのも怖かったし、どんな顔をしているのかもわからない自分の顔を梓に見られるのも嫌だったが、これを伝えるならちゃんと目を見て言わなければいけないと思った。
「結婚なんかしてほしくない。……それが、本音だよ」
 ずっと考えていた。ずっと葛藤していた。ずっと言いたくて、言えなくて、言ってはならないと押さえ込んで、熱に浮かされてしか口にできなかった本心を今はちゃんと正面から伝える。
「然……」
 梓が俺の名前を呼んだ。
 あの幸せな夢の中で、梓は俺の言葉に、うん、と言った。確かに言ったが、あくまでもそこは夢だったようだ。俺の願望だったともいえるか。 
 ただ、その返事だけは違っていた。
「やめてよ。どうして今さらそんなこと言うの? 今まで散々……。私、田崎先生のところへ戻るから」
 苦々しくも最後はきっぱりそう言い、踵を返した梓を今度は俺が追いかける形になる。
「俺たちやり直せないか」
 その言葉に息を飲んだのがその背中からでもわかる。
「梓が許してくれるなら、今すぐ奪って、このままお前を連れて帰る」
「……何、バカなこと言ってるの? やり直せるわけないじゃない。結婚するって言ってるでしょう。田崎先生が好きなの。第一、私が許してくれるならって……」
 そして、ゆっくりと俺を振り返り、
「いつもそうよ、然は」
 目いっぱいに溜まっていた涙が堪えきれず、一粒流れ出た。
「最初に声をかけたのも私からだった。一緒に暮らし始めたのも私が一緒に住みたいって言ったから。結婚だって私が不安がったからよ。然は、いつもすぐにわかった、いいよって何でもないことのように言うの。離婚だって、私は然が別れたくないって言ってくれるのを本当は待ってた……」
 一度流れてしまった涙は、後は堰を切ったように溢れだすばかりだ。
「今回だって……笑って……おめでとうって……」
 とうとう梓は俯いて手の甲で涙をぬぐう。そして、もう遅いよ、と消え入るような声で言った。
「田崎先生は、私を変えてくれる」
 新たな一歩を踏み出すことを苦手とする自分に、無理矢理にでもそのきっかけを作ってくれるのだと。ただ、傷つけまいとするだけの俺は、梓が閉じこもったままの殻を割ろうとしなかった。一方で、田崎は梓のことなど構わずに乱暴にその殻を割り、さらには強引に引っ張り出す。
「然も私も、何も変わってない。だから一緒にいれば心地いい。だけど、私たちは六年の間に忘れてしまっただけなのよ。あの時、上手く行かなくなった部分だけが、時間と共に忘れられただけで、結局はなに一つ変わってない。やり直したところで、また同じ失敗を繰り返すだけよ……」
 俺は何かを言うわけでもなく、返事すらろくにしていなかったため、一方的だった梓の話が終われば会話は自然に途切れる。
 夜のエントランスが赤く染まる。その方を見遣ると、後ろにそびえ立つ観覧車が、今は赤一色にライトアップされていた。
「私、戻るね」
 静かにそう言って、再び背を向けようとした梓の手を取る。引き留めると同時に、俺は入口に向かって歩き出していた。
「乗りに行こう、観覧車」
 引っ張られるように、梓は戸惑う足をもつれさせながら、
「だから、何言ってるの? ちょっと、離してよ!」
「すぐ戻るから。一周だけ」
「ダメって言ってるじゃない!」
「大丈夫だよ」
「大丈夫って何がよ! ねぇ、ちょっと! 然ってば! だいたい、パーティー放っておいていいわけ?」
「大丈夫」
「だから、何が大丈夫なの? 観覧車だって嫌なくせに」
「平気だって」
「ねぇ、然! ねぇってば!」
 全く聞く耳を持たず、ずんずんと前に進む俺に梓が乱暴に解放を求める。それでも離さない。
「田崎先生なら心配ない。ユキが上手くごまかしておいてくれる」
 そこでようやく足を止めて、俺は後ろの梓を振り返った。
「最後くらい、俺にも強引で無理矢理なことさせて」
 梓に対して、強引に、無理やりに、そうしたいと思うことはいくらでもあった。それを必死に押さえていただけだ。
 それが、梓の求めていた愛情ではないのなら仕方ない。
 それが、俺の愛し方なのだから仕方がない。
「十五分だけ、俺にちょうだい。十五分たったら必ず戻るから」
 目の前の梓は、泣いてはいないが笑ってもいない。喜んでもいない。けれど怒ってもいない。
「……十五分、だけ、だからね。約束よ」
 少しの間考えてから、そう言った顔は寂しそうでもあり、楽しそうでもあった。
 これが最後の望みでもなければ、チャンスでもないことはわかっている。あえて言うなら思い出作りだろうか。最後に幸せな思い出が欲しいだなんて、自虐的かつ非建設的であることは重々承知で、それでもかりそめの幸せを望んでしまうあたり、タケルの言うように俺は被虐嗜好が強いのかもしれない。
 それでも今は既に出ている結果に諦めるだけではなく、本能のままに身体に従い、思うより先に口が動いていた。
 俺のなけなしのプライド。
 否、衝動だ。


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