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佐久間マリのオリジナル小説ブログ 18才未満の方の閲覧はご遠慮ください

   
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チョコレイト・ラブ 44
44


「ごめん、これで我慢して」
 コートはクロークに預けたままだ。俺はスーツの上着を脱いで梓の肩にかけた。ノースリーブにサンダルといういでたちに、二月の気温を考えれば上着一枚で暖かいはずはないが、今は我慢してもらうしかない。きっと今までの俺なら梓の格好を見て諦めていたところだろう。
「然こそ寒くない?」
「ヘーキ」
 今日はスリーピースなのでベストがある分少しはましだ。尤も寒さを我慢できるかできないかなど今にいたっては些事だ。ビルから出て、近くの横断歩道まで行く時間も勿体なく、少ない交通量の割に片道何車線もの整備がなされた無駄に広い道路を渡る。車は後にも先にも一台もない。交差点の信号だけが車もないのに一人機能しているのがなんとも間抜けだった。
 観覧車は、歩いて一、二分のところにある。都心から少し離れた湾岸は、平日、ましてや夜ともなれば人はまばらだ。この辺りはデートスポットにはなっているものの、そういう場合の足はたいてい車で、駅を離れれば歩いている人など誰もいない。外の空気は思った以上に冷たく、海辺なので風も強い。あまりの寒さに互いの口からは寒いという言葉しか出て来ず、最後にはそれが笑いになった。
 途中でタクシーが通りかかったので止めたら、乗車拒否をされた。しかしそれも当然だ。乗り場まであと五十メートルというところだったし、気の違ったような季節はずれの格好をして、寒さのあまりテンションが上がりきっていたので酔っぱらいとでも思われたのだろう。
 途中で階段を駆け上がり、長い歩道橋の上に出る。左右から眩しいほどの欄干照明に照らされる最後の直線を競争することになった。しかし、梓はすぐに疲れたと言って走るのをやめたので、今度はできるだけ寄り添って歩いた。
「わー、ガラガラだね。他に誰か乗ってる人いるのかな」
 観覧車の乗り場は閑散としていて、かつての盛況ぶりはすっかりなりをひそめていた。係員も暇そうだ。
「まぁ、平日だしな」
「クレープ食べたい」
 俺が乗車券を求めている数秒の間、待たせておけば、コンテナハウスの前で物欲しそうな顔をしている。
「前もここで買ったよね」
「今日は駄目。ゴンドラ内は飲食禁止」
「だって、お腹すいたもの」
「よく言うよ。けっこう食べてたじゃん」
「やだ、見てたの? 私だって然が美人さんに言い寄られてるの見てたもーんだ」
 言い寄られてないし、と否定してから、声色を真面目なものに戻す。
「今日だけじゃない。……いつだって、俺は梓を、梓だけを見てたよ」
 それまではしゃいでいた梓が返事をせず、黙ってしまったので、俺は慌てて話を変えた。しんみりするにはまだ早い。
「この最初の、がくん、ふわーってとこが嫌なんだよな」
「ばかね。ここが、いかにも旅立つ瞬間って感じで一番わくわくするところなのに」
「あ、でも夜の方がましかもしんない。地面とか見えないから」
「前は昼だったもんね。見て、見て! さっき、あそこ歩いてたんだよ。もうこんなに高い」
「だから言うなって」
「ほーら……きゃっ!」
 自分で揺らしすぎて、逆にふらついた梓を支えるふりをして、ちゃっかり腕の中に抱え込んだ。梓にしてもそれに驚くこともなく身をまかせてくれる。それはごく自然に、あの頃のように。片方に二人で座ってしまったことで、ゴンドラが傾いているかもしれないというのは今は考えない。傾いたからってなにも落ちるわけじゃない、多分。
「あ、パーティーやってるの見える! あのビルでしょう? さっきまであそこにいて観覧車を見てたのに、今はそれに乗ってるなんて不思議な感じ」
「……あんな高いところでやってんだな」
 誰が誰かまではわからないが人影は見える。互いの携帯電話が沈黙を保っているところを見ると、ユキと直子がうまくやってくれているらしい。
 見下ろす何もかもがミニチュアのような小ささでまるでおもちゃのようだ。しかし、それこそが現実で、梓をこの腕に抱いている今この時こそが夢なのだ。
「高いの、やっぱり怖い?」
 梓が悪戯に笑うので、俺は腕に力をこめた。
「……怖くないよ」
「ほんとに?」
「二人でいられるなら、一生ここでこのままでだっていい」
 梓は何も答えない。その顔も俺からは見ることはできない。
「お前を困らせたくない。俺はいつも、ただそれだけだったよ。俺の気持ちなんかより、梓が幸せでいてくれることが何より重要だった」
「……だとしたら、私にとっての幸せっていうものを、然はわかってなかったよ」
 梓が腕の中でゆっくりと向きを変え、正面から見つめてくる。
 俺たちはこの距離を知っている。この後にある行為を知っている。考えずとも身体が求めるものをすでに知っている。
「……いい?」
 あと少し、もはや息が触れあう距離で尋ねると、梓は初めて笑顔に悲しみを露わにした。
「ほら、またそうやって聞く。……そう聞かれたら、だめって言うしかないのに」
 俺は一つ苦笑してから、これ以上なく戸惑いがちに、一方で、これ以上なく自然に唇を重ねた。
「もう頂上過ぎちゃった」
 キスごしに梓が言う。
 構わない。どうせ当たるわけもない営利目的のジンクスなのだし、当たったところでどのみち、この先ずっと一緒にはいられないのだから。
「本読むときに眼鏡かけるのが好きだった」
 キスとキスの間に、梓は言った。
「然ってば寝起きだけはすごく悪いの。それもかわいくて、好きだった」
 それから地上に戻るまで続いたキスの合間に一つずつ、梓は俺の好きだったところを挙げた。一つ言うことで一つ過去を手放すように。一つキスをすることで一つ忘れるかのように。
 閉じた瞼の中が赤に変わる。
 きっとイルミネーションが真っ赤なバレンタインバージョンになっているのだろう。今の俺たちの距離を象徴するかのようなけして深くは交わることのないキスの中で、そんなことを考えていた。

 *

 戻った会場は変わらない賑わいだった。
「おー、おかえりー」
 ソファ席で談笑していた田崎がその姿をみとめ、笑顔で迎えている。
 もうすでに俺の隣に梓はいない。部屋に戻るやすぐに田崎を見つけ、駆け寄って行った。
「すみません。ストッキングが破れちゃって、買いに行ってた」
「いーじゃん、ナマ足」
「そういうこと、大きな声で言わないでください!」
 少し離れた所で二人を見守っていた俺に田崎が気づく。そして笑う。挑発的でもなければ、余裕のそれでもない。きっとすべてお見通しなのだろう。それでも、あんな風に笑える男が梓をさらって行く。俺も口許に湛えた笑みを持って丁寧に一礼した。頭を上げると、田崎はもうこちらを向いていなかった。直子と三人、楽しそうに話している。エレベーターの中で、梓から返された上着を羽織りなおす。
「帰って来なくてもいいって言ったのに」
 いつの間にか隣にいたユキが、インカムを差し出した。
 受付のカウンターにさっき叩き置いたものだ。
「たまには、衝動のままに動くのもいいもんでしょう」
 おそらく今、俺はつきものの取れたような顔をしているに違いない。
 衝動のままに行動するのがいいのか、悪いのか。衝動を抑える生き方が、性に合っているのか、合っていないのか。
 田崎の隣で梓が笑っている。それを心底微笑ましく見ている自分が確かにいる。
 衝動にしたがって行動した結果の、戦った末の、納得のいく負け戦だからかもしれない。別れてから六年。その間もずっと積もり続けていた梓への愛情に、ようやく見切りをつけられる予感がした。


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