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佐久間マリのオリジナル小説ブログ 18才未満の方の閲覧はご遠慮ください

   
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チョコレイト・ラブ 45

45




 二月も中旬になると陽射しに僅かながら春の気配が混じり始める。ガラス越しの太陽にそんなことを思いながら社屋ビルのエントランスを横切っていると、後ろからヒールの音が駆け足で近づいてきた。
「然!」
 振り返るより先に綾が隣に並ぶ。その顔を見るのが久しぶりな感じがするのは、おそらく気のせいではない。明らかに最近連絡を取り合うことが減っていた。未来への可能性として繋がっていた部分がなくなってしまったからだろう。
「おす。外回り?」
「プリシモのバレンタインイベントの最終打ち合わせ。然は?」
 綾は黄色のストールを首元に巻きながら言った。早くも春を意識した装いはさすがファッション誌の副編集長だ。
「原稿届けに行くところ」
「誰先生?」
「田崎先生」
 極めて何でもないふうを装って言ったが、その人に話題が及んで綾が無関心なわけはなかった。案の定、田崎先生と言えば、と綾が切り出す。
「ちょうど昨日、仕事で梓ちゃんに会ったわ。指にそれは大きなダイヤ輝かせて」
 ワンテンポ置いてから俺にくれた視線には、憐みに似たものが含まれていた。
「……彼女、本当に結婚するのね」
「ああ、着々と進んでるみたいだな」
「やっぱり、私のしたことは余計なおせっかいだったってことかしら」
 あの発熱の日に、梓を俺の家に寄越したことを綾はひどく気にしていて、衝動的によかれと思ってやったものの思い直してひどく後悔したらしい。他人の恋愛に介入しないのが彼女のポリシーなのだ。しかし、綾がきっかけを作ってくれずにいたら、結局俺は梓に気持ちを伝えるチャンスをつかめず、今もくすぶっていたと思う。他人に、ひいては病気にまで頼ってしまっている辺りが直子に言わせればヘタレ以外の何者でもないのだろうけれど。
「梓ちゃんも未練があるように私は思ったんだけどなぁ」
 自働ドアが開くと瞬間に身を刺すようなビル風に迎えられる。綾も同じく電車だというので、二人で駅へ向かうことになった。俺は肩をすくめて。
「未練っていうかさ、別れた相手に対しては多かれ少なかれ執着だったり、忘れてしまいたい過去だったり、その種類は人それぞれだと思うけど、何かしらの感情がずっと残るもんだろ? 綾が感じたのはそれじゃないかな」
 梓の場合のそれが何なのかはわからないが、俺の場合は家族愛に近い形で、それはこの先もずっと抱き続けるだろう。もちろん今も好きだし、愛していると言える。しかし、梓ともう一度やりなおすという選択肢をもとより諦めていた俺には、別れた時点から愛情はすでに男女間のものでなかったのかもしれない。自分が相手とどうなりたいとかではなく、ただその幸せを願う。親が子の幸せを願うのと著しく似ていると思う。
「まぁ、確かに元旦那との関係性って微妙よね。別れて、それっきり音信不通で全く無関係になれたらいいんだけど、中途半端に交友関係が戻ってしまうとなまじ夫婦だっただけにその距離感がつかめないと言うか……」
「なに? 元旦那さんとの距離感で悩んでるわけ?」
 そう尋ねた声は、思いの外、好奇心むき出しものになってしまった。
 違うけど、と綾は珍しく歯切れ悪く答えてから、
「……ただ、陸人も昔と違って、自我も確立されてれば、言葉でコミュニケーションが取れるじゃない? そこへ、あいつが父親面するもんだから、もう、パパ、パパ、ってうるさくて。もともと嫌いで別れたわけじゃなかったし、ヨリ戻してもいいのかなって思っちゃう、陸人見てると」
「いいのかなって戻せばいいじゃん。悩むところなの、それ」
「悩むわよ。離婚で受けたダメージってトラウマにもなってるもの。きっと初めて結婚する時より慎重だし、なかなか思いきれない。また同じ失敗を繰り返す可能性も大いにあるわけだし……そこが一番考えるかな」
 心底悩んでいるのがありありと伝わってくる長いため息をついて、
「だから、梓ちゃんが田崎先生くらい強引な人じゃないと次に踏みきれないのはわかる気もするの。ましてや同じ人ともう一回だなんて、そんなの高校生の恋愛じゃない。なんのための離婚だったんだって恥ずかしいわ。お役所や世間様を巻き込んでの痴話げんかみたいな印象受けない?」
 大人になればなるだけ難しい。若い頃だったなら、後先考えずに勢いだけで突っ走って、成るように成ればいいと理由などすべて後付けでよかったことが、今は理由が全て揃って初めて動く気になれる。年齢と共に増えていく経験知が逆に足かせになり、好きという感情には煩わしい尾ひれがつき、どんどん身軽でなくなっていく。綾は遠い目をして言った。
「自分の心に素直に従うって単純なことが限りなく難しいことに思えるのよね。もちろん怖くもある。結局、私が然に対して思いきれなかったのもそれが原因かもしれない」
 こういう類の心配事は、女性の方がより考える事なのではないかと思う。男は恋愛感情とその他一切を切り離して考えるので、比較的今も心に従って生きることができると言えよう。男にとってその他諸々のことなどどうでもよく、要は女性の気持ち如何なのだ。
 そう伝えると、「然は、梓ちゃんしか見えてないもんね。知らなかったわ、意外に粘着質だってこと」
 と、うんざりした面持ちで言った。
「私なんて好きだっていう気持ちさえ今や後付けだもん。もう純愛はできないのかも。なんだか悲しいわ」
 改札口に着き、それぞれの路線に別れようとした時、「あ、そうだ」と重そうな鞄をごそごそとあさり、底の方から小さな箱を取りだした。
「はい、チョコレート」
「ああ、明日バレンタインかぁ。サンキュ」
「言っとくけど、百パーセント義理だから。本命チョコは……もらえない、かあ」
 綾は手にしたパスケースを口許にあてて考えてから、同情の色を露わにする。
「本命どころか、義理チョコさえくれないよ」
「……然はさ、優しいんだけど優等生すぎてあなたを想う方もしんどいのよ。つかみどころがないから、こっちが打算的に思えちゃってだんだんそんな自分が嫌になる」
 次、恋をしたら、と優しい声色で前置いてから、
「まず自分が何もかもをかなぐり捨てなさいね。そしたら、相手もきっと応えてくれるから」
 じゃあね、お先。そう言って改札をくぐって行った。

 *

 田崎の家を訪れるのは初めてだった。赴いたアパートは思いのほか質素な住まいで、身も蓋もない言い方をすれば、ただただ古いし、ボロい。既に引っ越しの準備のためなのか、室内にはほとんど物がなく、覚悟していた梓の痕跡は見当たらなかった。小さな卓袱台を間に差し向いに座るも、田崎の身体のサイズに全く合っていない。
「これが最終稿です。気になる個所があれば仰ってください。一応私も見ましましたが、今一度チェックをお願いします」
 例のフォトエッセイ本は思いのほか早く、すでに入稿の段階にまで出来上がっていた。もっともこの仕事を最後に日本を発つつもりならば気が急くのもわかる。
「了解です。春田さんが見てくれてんなら、おそらく問題ないと思うけど」
 田崎は原稿の入った封筒を畳の上で無造作に閉じられているノートパソコンの上に置いた。
「これ、また召し上がってください」
 差し入れに持ってきたケーキ箱を差し出す。
「おー、悪いね。ありがとさん。中、何?」
「プリンです」
 梓が好きな店の、という言葉は心の中で呟くにとどめる。わざわざ好物を選ぶ辺り、俺も相変わらずだ。
「あずちゃん、喜ぶな。今夜、ちょうど来るんだよ」
「明日、バレンタインですもんね」
「それが手作りらしくてさ」
「……ご無事を祈ります」
「まぁ、死にはせんだろう。俺の胃、丈夫だし」
 これまた身体に似合わない小さな単身用の冷蔵庫にプリンをしまいながら笑い、
「家、ぼろくてびっくりした?」
 唐突に振られた話に、多少驚きはしたものの、
「……いえ、私も大概なところに住んでますので」
「へぇ、なんか洒落たデザイナーズマンションとかに住んでそうなのに」
「一体、どんなイメージを持たれているのか」
 と言いつつ、実を言えば先日来、知り合いの不動産屋に物件を探してもらっている。ようやくあの家を出る決心がついた。さすがにデザイナーズとは言わないが、もう少し新しい建物を会社の近くで見つけようと思っている。
「まぁ、心配しないで。とりあえずはニューヨークに住むことになったんだけど向こうではそこそこの部屋を用意してるから。この家見て不安になったかもしんないけど、それなりの暮らしをさせてやれる自信はある」
 俺は、おもむろに座布団から下り、一つ後ろに下がった。
「梓をよろしくお願いします」
 あえて、梓と呼んだ。今は作家と編集者ではなく、男と男として相対していることを表すためだ。田崎が笑う。
「あずちゃんのお父さんかよ」
「自分に足りなかったものも、梓が求めていたものも、ようやくわかりました」
 その答えが見つかったことでこの想いを清算する気になれたし、いつかは完全に葬り去れるだろう自信にもつながった。そのきっかけを与えてくれたことと、何より、梓を幸せにしてくれる田崎への感謝をこめて頭を下げる。
「……あずちゃんはさ、ご両親を亡くしたことで人生に受け身になっちゃったんだろうね。もともとはどちらかというと考えるより先に行動ってタイプだったと思うよ。それが、悪い結果になってもダメージ最小限で回避できるように慎重派になっちゃったんだろうな。んで、それに輪をかけたのが、アンタとの離婚だ」
「仰る通りだと思います。結局、俺との結婚は梓を傷つけただけでした」
「あずちゃんは自分で動かない、いや動けないんだ。だから、強引に引っ張り出してやらなきゃなんない。逃げ道を片っ端から塞いで後に引けないようにする。あんたは逆に逃げ道ばっかり用意してたから」
 田崎の言うことすべてがその通りで耳に痛かった。前の道を通る車の音がすぐ近くに聞こえる。黙ってしまった俺に田崎は尋ねた。
「俺がいうことじゃないけどさ、あずちゃんことはもういいわけ?」
 まるで人の恋路を応援するかのような口ぶりは、自信と余裕ゆえのものだろう。
「梓が笑っているなら、それが何より僕の望むところなので。そばにおいて悲しい顔をされるのが一番堪えます」
「まぁ、それは俺も同じだな。好きな女が辛そうな顔してたら自分を犠牲にしてでもって思う。それが愛だ」
 どこか意外だった。田崎はタケルと同じように、笑ってねぇんなら俺が笑わせてやる、と自信たっぷりな考え方をするように思えたのだ。しかし見方を変えれば、その分、梓のことを第一に考え、想ってくれているということだ。
 俺は目の前に座る男を許した。梓は田崎にくれてやろうじゃないか。
 上からの物言いに、お父さんか、と揶揄されたのもあながち間違いとは言えない。
「でももし俺に次があったら、その時は梓の意志関係なく連れ去りますから」
 自分の立ち位置とその守り方がわかった今、その言葉は自然に口から出た。自分でも驚くほどの自信と確信を持って。
 田崎は、そんな俺に少し驚いた様子を見せたが、すぐに表情を緩ませる。
「本気出すなら最初から出すか、最後まで出さずにおいてくれよ」
 男の俺でも見惚れるくらいの優しい笑顔を少し困らせた。


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