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佐久間マリのオリジナル小説ブログ 18才未満の方の閲覧はご遠慮ください

   
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チョコレイト・ラブ 47

47




 帰り道にあったコーヒーショップに駆け込む。
 鞄の中の原稿が気になって仕方がない。がやがやとしたそこは、一見集中できないように思えるが逆にそれがいい意味でのBGMになることもある。聞こえてくる他人の会話も耳を素通りするだけだし、たくさんの人の目があるようでいてその実、どれもが他など気にも留めていない。
 通りに面したガラス張りのカウンターに場所を取り、大きいサイズのコーヒーを注文した。すでに時刻は深夜帯であるにもかかわらず店内は賑わっていて、本を読んだり、パソコンを開いたり、談笑したりと様々だ。
 眼鏡をかけ、『チョコレイト・ラブ』と書かれた表紙の一枚をめくる。
 出来上がったばかりの小説は落字はもちろん、時には文章がつながっていないところもあり、完成には程遠い状態だった。しかし、そのあらすじは手に取るように、いや、読まずともわかる。
 数年前に離婚した夫婦が偶然再会する。そこで未だある恋心に気づき、戸惑いながらもやがて向き合って行く。
 モデルがいると直子は言わなかったが、紛れもなく主人公の二人は梓と俺だ。ところどころフィクションにもしてあるが基本的には俺たちそのものだった。
 自分の恋物語などひどく恥ずかしくもあったが、同時に、客観的に第三者の物語として読むのは新鮮であり、気づかされる部分も多い。ヒロイン視点で描かれた内容はすべてが俺の知り得ないもので、驚くよりもショックの方が大きかった。梓のことを何ひとつわかっていなかった自分を思い知る。
 優しいと評される男のその性格も俺にしてみればただずるく、意気地がないだけだった。自分の行動がいかに梓を悲しませ、困らせ、そして間違っていたのか。
 話はヒロインが求愛してきた男との結婚を本心から希望し、海外行きを決めるところで終わっていて、直子が言っていたとおりラストはまだ描かれていない。
 すでに熱さを失いつつあったコーヒーを口に含む。
 直子が俺にこれを読ませた理由。
「俺自身に物語のラストを作れってことなのか」
 ヒロインを奪還するのはラブコメディの定石だが、それはあくまでもヒロインが未だ元夫を好きな場合だ。ハッピーエンドは見世物としては美しいが現実はそれほど甘くない。いくらリアリティある内容とはいえ所詮は作りものであり、小説の世界だ。生身の人間の人生がそんなドラマティックな展開をするわけがない。大体これ以上どうしろというのだ。俺はきれいさっぱり振られている。それに仮にやり直したところで上手く行くはずがないと梓は言った。いくら直子が提案したまさにタイトルの『チョコレイト・ラブ』という愛の形があったとしても、梓がそれを受け入れ、前向きに考えてくれるとは思えない。
 もう一度、最後のページをめくる。突然に終わっている文章の後にある真っ白な部分がいやに目についた。
 ふと、周りが席を立ち始めたことに気づき、時計を見ると、二十三時を過ぎていた。どうやら閉店時間のようだ。
 愛想のいい店員に見送られ店を出る。いつもは賑やかで人通りの多い道も今は人もまばらで寂しい。しかし考え事をしながら歩くには夜のオフィス街は最適だった。身を包む、しんしんとした冷え込みに頭が冴える。
 ストーリーはこの先、いったいどうなり、どんなラストを迎えるのだろう。
「チョコレイト、か」
 雪でも降り出しそうな寒さと漆黒の澄んだ冬の空が、その瞬間、正体不明の昂揚を呼んだ。
 この話をどんなラストにしたいのかと問われれば、それは考えるまでもなくハッピーエンドだ。そして読者もそれを望むに違いない。
 もう一度、何もかもを忘れて、何も考えずにドラマを作るべく走ってみようか。勝算などもとよりないのだ。
 甘くて苦いチョコレイトのように、完成形になるために、これからを二人でいるために、俺たちは一度壊れなければならなかった。それゆえの別れであり六年間だったのだと思いたい。
 すっかり俺は直子の書いた物語の主人公になりきっていた。
 すぐさまタクシーを止める。行き先は自宅。まずは家に帰り、ドラマに必要なアイテムを手にしなければならない。結婚指輪と一緒に返された、引き出しにしまってある六年前の婚約指輪だ。今の梓の薬指に輝くダイヤモンドには遠く及ばない小さな石だが仕方がない。それを手にしたら、次はヒロイン奪還だ。
 目指すは今日はじめて訪れた恋敵の家。あのぼろアパートが決戦場とは演出的に残念だが、俺も人のことは言えない住まいだ。決め台詞はなんと言おうか。
「愛しているとか叫べばいいかな」
 そんな自分に苦笑が漏れる。
「いや、違うな……」
 大切なことは俺が今までの俺ではないということだ。好きな気持ちには、今も昔もなんら変わりはないのだから。
 釣銭をもらうのもそこそこにエレベーターもないアパートの階段を一気に駆け上がる。四階に辿り着く頃には息も切れ、こめかみが少し痛んだ。
 ワンフロアに並ぶ五戸のうち、一番奥が我が家だ。
 と、そのドア前に座る影がある。外廊下の頼りない明かりに目を凝らすと、
「……え? あず、さ?」
 俺の声に反応して、彼女は抱いた膝にうずめていた顔を上げた。
「な……にやってんだよ! こんな時間に、こんなところで!」
 半ば怒鳴るように言い、座り込んだまま立ち上がろうとしない梓の腕を掴んで引っ張り上げる。
「……マフラー、返し……に」
 その二本脚はフラフラとしておぼつかない。それが、がくがくと震えているのだと気づく。怪しいろれつに酔っぱらっているのかと思いきや、寒さのあまり唇が強張っているのだ。支えた背中に触れる髪が凍っているように冷たい。
「一体いつから? いつから待ってた!?」
 さっきタクシーの中でタケルに電話をしたところ、梓は来ていないと言っていた。マフラーを預けておいてくれと言ったので、いるかもしれないと思ったのだ。
 しかし、よくよく考えれば今夜は田崎のところに行くと言っていたのだから、赤はちまきに寄っている時間などないと考え直していたところだった。
 もし仮に俺に電話をくれた後からだとすれば、ゆうに二時間はこの寒空の下にいたことになる。
「マフラーのお礼……と思って……あした、バ……レンタインだから、これ……」
 紙袋を差し出したものの、すぐに力なく引っ込めた。そして、ちがう、と首を振る。
「そう……じゃなくて、お礼、とかじゃなくて」
 寒さからか、それとも俺が帰ってきたことで寒空の下から解放される安心感からだろうか、みるみる目に涙がたまりはじめた。
「礼なんか別に……」
「ちがうの」
 今度ははっきりと言った。ついに堪えきれず溢れた涙が一粒、頬を滑った時、
「好きなの」
「……え?」
「然が、好き、なの……」
 言い終えるのが早いか梓が膝からくずれる。慌てて支えに入るも聞き間違いかと思った。いや聞き間違いであってもいい。支えるふりをしてその言葉を確かめるより先に抱きしめた。
「やっぱり、好きなの……大好きなの」
「……好きって、俺を?」
 慎重に尋ねると梓が嗚咽の合間にこくんと頷く。
 腕の中の梓は髪だけでなく、服までもが芯まで冷えてきっていた。大して効果はなさそうだったが俺は自分のコートの中に梓を包み込む。
 そして、震えが少しでも収まるように強く抱く。
 いや、本当はその意味を確かめたくて強く抱く。
「チョコレートがね、然と私みたいだって。一度粉々になって溶かしてやっと美味しくなるの。今度こそちゃんとした夫婦になれるように、別れたのはそのために必要な過程であり、時間だったんだって……」
「……梓」
 信じられない思いで名前を呼ぶと、
「もう一度、然との未来を信じるのは怖いよ」
 苦しそうに言う。
 しかし、その言葉に俺の身体が強張ったのを感じたのか、すぐに言葉を続けた。
「でも、わかったの。然を失うのはもっと怖い。私は、ずっと……別れてもずっと然のことが好きだった」
 梓が腕の中から顔を上げる。
「……私の幸せが、何かわかった?」
「……ごめん。まだわかんない。だから梓が教えて。ちゃんと聞くから。それで必ずそれをかなえるから。今度こそ俺が幸せにするから」
 このチャンスを逃したくないと必死で言う俺に、梓が首を振る。
「私の幸せはね、然と一緒にいることだよ」
 たまらずその冷たい頬に俺は自らの顔を擦り付けた。
 梓が涙を流しながら、あったかい、と笑う。肌と肌を体温で慣らし、互いの温度が溶け合っていく。そして、未だ凍える梓の唇に熱を分けるように口づけた。どちらからともなく、深く交わりあい、梓の動きが、解けたように徐々にやわらかいものになっていく。
 唇を離すかわりに、今度は額と額をくっつけて、
「……でも、田崎先生は……?」
 梓がここにいることがその答えだとしても、この瞬間に無粋だと言われようと、聞かずにはいられない。
「ごめんなさいって言ったら、わかってた、って。私にそんな顔をさせるために遠くへ連れて行くわけじゃない、私が笑顔になれるところに行くのが一番いいって」
 好きな女には笑顔でいてほしい。それは、俺とは何もかもが違う田崎と俺の、いや、全ての男に共通することかもしれない。
 だからと言って、梓が笑顔になれるところがまさか俺のところだとは。
「とりあえず、中に入ろう」
 身体をそっと離す。もちろんいつまでもここで抱き合い、愛を確かめ合っていたいのはやまやまだが今は梓を温めることが先決だ。直子には、適当に脚色してロマンティックに書いてもらえばいい。
「しかし、まさかのハッピーエンドとはな……」
 もう一度梓を抱いてそう呟けば、視界がみるみる滲み出したので俺は慌てて天を仰ぐ。
 鍵を開けるといつもの我が家がそこにあった。
 ここに梓がいることの不思議と必然が交錯する。
 いや、必然だろう。
 今ここにあるために、一度離れなければいけなかったのだから。六年前、粉々になったはずの欠片が溶け合って、再び形になる。もう、あの時の未熟なだけの二人ではない。再び始まる恋に不安はない。あるのは喜びと更なる愛しさ、そして、美味しさだ。
「……おかえり、梓」
 感慨深い想いで紡いだその一言に、涙の跡が残る頬にとびきりの笑顔を乗せて、梓が、ただいま、と言った。

 
                            終


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