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佐久間マリのオリジナル小説ブログ 18才未満の方の閲覧はご遠慮ください

   
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たぶん、きっと、ずっと、僕は 2
2.

 アラフィフ女性一人と、男四人を乗せた黒のワンボックスカーが早朝、都内の幹線道路を走っている。
 その車内は、七人乗りという定員にかかわらず、ひどくむさくるしい。
 と言っても、女性は運転席を一つ占領しているだけであり、おまけに皺一つない白のシャツにプレスのしっかりきいた黒のパンツスーツを着て、まだ朝も早いというのにファンデーションからアイラインに至るまで隙のない完璧なメイクが施されている。
 ましてや来年とうとう五十歳になる年齢など、その車内環境如何に一切関係ない。
 座席や足元には、大量のスナック菓子と二リットルのコーラのペットボトルが三本、三段重ねのランチボックスが二つ、籐のバスケットにナフキンをかぶって収まっているほかに、ラゲッジスペースに積み込めなかったギターケースが所せましと置かれていたり、毛布やブランケットが座席の隅に無造作に押しやられている。
 つまるところ、原因は乗車する男共のせいなのだが、車内のさわやかさと、彼らが今をときめくロックバンド『エッジワース』のメンバーであることとは関係ないらしい。
 手作りと思われる弁当が、今は、おいしそうというよりも食べ物の生々しい臭いを狭い空間に充満させている。疲労困憊の朝の五時、誰も食欲はない。
 プライベートでも仲がいいことで知られる彼らだったが、今は無駄話に興じることもなく、みんな無言で、寝起きのけだるさを引きずっていた。
 歩にしても、季節にそぐわない長袖のパーカーを頭までかぶり、顔にはマスクをして、一人ヘッドフォンで音楽を聴いている。その様子はお世辞にもすがすがしいとは言えない。
 その時、ふいに小さなくしゃみが出る。歩はそれをマスクの下に隠したつもりだったが、その後にずずっと洟をすすってしまい、それにようやく車内が反応した。
「なに、きりやん、風邪ぇ?」
 どんぐりのような大きく丸い目がカワイイと人気の太郎ことギターの山田一太郎が起き抜けのかすれた声で尋ねる。
 芋虫のように毛布に包まって横になり、三列目のシートを一人で占領している。一太郎という名のとおり長男で、地元の名士山田家の跡継ぎだ。ちなみに大量のスナック菓子とコーラの消費責任者でもある。
「目覚め一番、ファンがウワサならぬ歩のことでも呟いてんじゃない? 『歩、オハヨー』とか『今起きたよ』とか、ハートマークいっぱいつけて」
 歩の隣に座るドラムの片瀬雅和がスマートフォンをいじりながら口を尖らせた。そう言う自分もツイッターをチェックしているのだろう。
 雅和はメンバーで唯一SNSを使って情報発信をし、そのフォロワーは三十万人にものぼる。長身、短髪のクールな見た目からは想像できないこのマメさは、実は彼がオネエだからで、このことはもちろんエッジワースのトップシークレットだ。
「発想が古いんよ、雅和は。時代感じるっていうか、一昔前っていうか。くしゃみ一つで人がウワサしとるとか、今時誰も考えんって。花粉症の心配やろ、現代人なら」
「太郎ってばうるさいわね。先人の知恵はバカにできないのよ」
「ちょっとォ、屋上が寒かったんじゃないの? あんた薄着だったし。いったいどのくらいの時間いたの?」
 槙田が運転席からルームミラーを経由させて歩に視線を寄越す。歩はそれに気づかないふりをし、窓の外を眺めたままで、
「えー? 上がったときはまだ夜だったけど……」
 マスク越しのせいか声がくぐもってしまい、うらはらに周囲の不安を助長するものになってしまった。
「まあ、今日はMV撮影だけだから、最悪、声は後からかぶせればいいけど。気をつけてよ。もうすぐアルバムのPRも始まってくるし、休む暇なくライブツアー突入なんだから。健康管理も仕事のうちよ。それでなくても不規則な生活なうえに、不摂生なんだから」
「槙ちゃんってば心配しなくても大丈夫よ、そんなこと歩自身が一番わかってるわ。こう見えて、歩は誰よりプロ意識高いんだから。でも歩、不摂生なのは事実よ。ミュージシャンは体力仕事なんだから。今日のお弁当に歩の好きな牛蒡の八幡巻を入れてきたから、たくさん食べて!」
「いつもながら、よくそんなの作る時間あるわよね。ほんと感心する。男にしとくのもったいないわ」
 槙田とはもう五年の付き合いになる。デビュー時からずっと変わらずエッジワースのマネージャーを務めていて、歩の性格、そしてプロとして、さらには人気バンドとしての自覚と責任を、歩や彼らがが十分に持っていることを知っているが、くどくど言わずにいられないのは槙田の職分なのかそれとも性分なのか。

「ところで、歩。さっきの、屋上で口ずさんでた曲、新しい曲なの? エジワスには珍しいちょっと切ないメロディーでいいじゃない」
「えっ、きりやん、歌できたがいと?」
 一太郎がむくりと起き上がり、後ろの座席から乗り出してくる。相変わらず毛布にくるまったままだ。
「そうよ、ちょっと目先を変えてみて恋の歌とかいいじゃない。あんたたち、デビュー前にしかラブソングってないし。話題性もあるわよ」
「槙ちゃん、歩の創作に無理強いはよしてちょうだい」
「だってそうも言ってられないじゃない。映画のタイアップ曲だって、制作側からまだかって催促されてるのよ」
「アーティストには産みの苦しみってのがあるのよ! 歩、気にすることないわ。焦らず、自分のペースを大事にして。今は少し休憩してるだけよね?」
 雅和のフォローに歩が苦笑で答えていると、
「冗談抜きで、さっきの曲、私、好きだけどな。あれ、絶対ラブソングでしょ? いつもと雰囲気違ってたし」
「えー、それって喜多茉莉菜のこと想って作ったとか? 昨日、会っとったから?」
「や、別にそんなんじゃなくてテキトーに遊んで歌ってただけだよ。ラブソングどころか何の曲もできてないし」
「なーんや」
「そうなの?  まあ、発表するしないは別として、曲のストックはいくらあってもいいんだからね。しかし、歩が恋の歌を書いたら話題になるでしょうね。お膳立てにも気合が入るわ。どんなふうに発表しようかしら」
 槙田はそう言って、できてもいないラブソングの青写真を嬉々として描き始める。
 やがて、車がスクランブル交差点に差し掛かかった。時間的にまだ人は少ない。歩は漫然と眺めていた車窓から、視線を高く上にあげる。一番目立つ場所に、これ以上ない大きさで掲示されているのは来月に発売となるエッジワースのニューアルバムの広告だ。メンバーの顔は写っておらず、アルバムタイトルと発売日だけの記載があるシンプルなデザインのものだが、中央に陣取るロゴは見慣れた自分たちのものだ。
 あの時、羨望の眼差しで見上げた看板を今、エッジワースが飾っている。その事実は、この目で確かめても信じられないくらいにひどく感慨深いもので、先日の初出の日にはこっそりメンバー全員で拝みに行った。上京して五年間、がむしゃらに走り続けた結果だ。ただ前だけを見て。ただ悔しさをばねにして。
 三年前、とある自動車メーカーのCMに起用されたことで楽曲が大ヒットし、エッジワースの名は一気に世に知れ渡った。それからは、発売したシングルは全て日間、週間共にチャート一位を記録し、翌年に発表されたセカンドアルバムもミリオンセラーとなった。ブレイク前に出したファーストアルバムも、通算売り上げが五十万枚を突破するなど、その勢いは今も止まる所を知らない。長く続く音楽不況の中で、アイドルブーム、K-POPに代わり、バンドブーム再来かと期待され、今や業界の救世主との呼び声も高い。今度発売されるニューアルバムも、どんな記録を打ち出すのかとすでに各所で話題になっている。
 おかげですっかり変わってしまった生活は、歩に立ち止まることさえ許してはくれず、ここ数年は目まぐるしい毎日をなんとかやり過ごすことだけで精一杯だった。そんな日々には忘れているが、ふと我にかえって原点に立ち戻ってみたとき、今の状況に一番驚いているのは歩自身かもしれない。
 あの日――、
 それは忘れもしない年の瀬の、冬晴れの乾いた太陽がまぶしい日で、互いに口元はぐるぐると巻いたマフラーの中に隠れていた。頬が赤かったのは、寒さのせいではない。田舎者だったからだ。行き交う人の流れの邪魔になっていることなど完全にお構いなしで、二人並んで立ち止まり、見上げたそれは高いところにあるのに大きくて、歩は繋いでいた手をきつく握りしめた。
 あのときの、震えんばかりの緊張だとか腹の底からわきあがる興奮だとかそういう逸る類の感情は、今は恥ずかしくて表に出すことなどないが、青くて若く、一方で当時のエネルギーをどこか恋しくも思っていると、ふいに前から声がした。
「どう? 抜けそうか? スランプ」
 助手席から、目だけで振り返ってくるのはベースの長須友樹だ。
 さっきから全く会話に入ってこなかったのでてっきり眠っているのだと思っていたのだが、目を閉じていただけで話はちゃんと聞いていたらしい。
 歩は肩をすくめ、ため息混じりの笑いを零す。

「まだ。全然ダメ」
 スクランブル交差点はとっくの昔に通り過ぎていて、はるか後方になっている。

「アユムくん、聞いてる?」
 茉莉菜の長い髪が、するりと音を立てて裸の肌を滑った。ベッドにうつぶせになっている彼女の肩は、肘をついているせいで痛々しいほどに細い。
「ごめん、ぼーっとしてた。なんだっけ?」
 見惚れていたわけではなかった。ただ、先日楽屋でめくった雑誌の中にいた茉莉菜の肩と、目の前のそれが同じであることに不思議を感じていただけだ。
 とても今更な事だが、たまにふとそういう感覚に陥る。彼女は映画やテレビに出ている有名人だ。そんな女性を自分の腕に抱いていることがまるで夢のように思えるときがあるが、今の歩の地位と立場であれば十分にありえることだし、実際それは現実だ。
「だからね、来週、交際記事が出るけど、それ撮らせたやつだよって言ったの」
「ああ、うん。わかった」
 歩は怠けて、寝転んだままパソコンデスクにあるペットボトルに手を伸ばす。案の定、取ったひょうしにばさばさと譜面が床に散らばったが拾い集めることはしない。
 歩のマンションは高層ではないが、立地が台地なところに、部屋が十三階の高さにあるため、眼前に高い建物がなく景色が開けている。ベランダもなくダイレクトウインドウなので、窓から望める夜景の美しさといったらホテルのバーと言っても過言ではないが、一方、部屋の中はといえば、うんざりするほど散らかっていた。机の上のパソコン周りには雑誌やら本、数多のCDが積み重なり、それらは電子ピアノの鍵盤にまで侵食している。一応ベッドがあるので、みんなの認識としては寝室だったが、実質的には仕事部屋だった。歩は家にいるほとんどの時間をここで過ごす。
 ごくごくと喉を鳴らす歩を、茉莉菜は不服そうな顔で見て、
「熱愛発覚とか書かれてるけど心配しないでねって言おうと思ったんだけど。……心配なんかしてくれないよね、アユムくんは」
「そんなことないよ、心配するって。茉莉菜がドラマとか出るのもほんとは嫌だし。ラブシーンとか」
 茉莉菜が大きな目をしばたたかせると、瞬きのたびに長い睫がその存在を主張した。彼女は化粧を落としても文句なしに美しかった。
「妬いてくれてるの? ヤバイ! アユムくん、カワイイ!」
「かわいくねーし」
「カワイイしー」
 枕に顔を埋めた歩の髪を弄びながら、
「エジワスのファンの皆さんに教えてあげたい。アンニュイなキャラで売ってますけど、桐谷歩は実はこんな子供っぽいんですよーって」
「年下のクセに生意気言ってんな」
 歩はがばりと寝返り、シーツと一緒に茉莉菜の身体を抱きこんだ。きゃあと楽しそうな笑い声が聞こえる。そうして、二人はしばらくベッドリネンの海でじゃれあっていたが、最後には茉莉菜は歩に愛おしい抱き方をされて落ち着いた。長い髪をすくってキスをする。茉莉菜専用のシャンプーの匂いがする。歩の家のバスルームに置いてありながら、歩はその使用を禁止されている行きつけのサロンオリジナルだとかのバカ高いもので、一度、間違えて使ってひどい目に遭ってからは使用禁止の言いつけはちゃんと守ることにしている。髪がやたらといい香りをふりまいて、その日一日メンバーにからかわれた。
 歩と茉莉菜は恋人同士だ。ちゃんと付き合い始めてもうすぐ一年になる。傍目にはトップミュージシャンと人気女優というビッグカップルだが、実際には話していることも、やっていることも、おそらく他と何ら変わらない普通の恋人同士だ。常に人目を憚らなければいけないことを除けば。
 あのね、と茉莉菜が言ったので、歩は優しく、うん、と答えた。
「写真撮らせた時に事務所が予約してくれたお店がね、よかったの。オシャレだし、美味しいし、個室はもちろんだし、VIPルームもあるんだって」
「へえ」
「アユムくんと行きたいなあ。そこじゃなくてもいいからどこか行ったりしたいよ。手繋いで、腕組んで、街歩いて、美味しいもの食べたり、買い物したりしたい。デートしたい」
 仰向けに寝た茉莉菜は、歩と重なったままの手を天井に向かって掲げた。手入れの行き届いた茉莉菜に負けないくらい、歩の指も細く、そして長い。
 まだ歩が小学生にもなっていないときに、幼稚園だか公園だかの遊び友達の母親の誰かが「歩くんの手、ピアノに向いているんじゃない?」と言ったらしい。それがきっかけで、スイミングの他にピアノという習い事が歩に一つ加わった。おそらくその人は何の気なしに言ったのだろうが、自分の一言がまさかエッジワース・桐谷歩誕生のルーツになろうとは、当時スーパーの広告掲示板で家から近いという理由だけでピアノ教室を探してきた母親同様、想像もしなかっただろう。歩の家はごく一般的なサラリーマン家庭で、その範囲を親戚まで広げても音楽になど誰も何の縁もない環境だった。もっとも、そのピアノが今に直接的に結びついているかといえばそうでもないが、中学にあがるまでレッスンを続けた歩のピアノの技術は相当なものであるし、確かに技術の習得も早く、当時のピアノの先生はなにかしらの音楽センスを歩に見出していたのだろう。何度かコンクールへの出場を打診されたり、音大の先生のレッスンを受けてみないかと勧められたことがある。しかし、母親はそのレッスン料の高さから端から取り合わなかった。歩自身、ピアノは嫌いではなかったが特別好きなわけでもなく、クラシックはもちろん将来音楽で食べて行こうなどと夢にみたこともなかった。
 中学に入って、バンドを知り、ギターを覚え、歌うことを知り、曲作りを覚えた。大人になっても、いつまでも歌い続けたいと思い始めたのはいつの頃からだろう。
「じゃあ、槙田さんに二人で出かけられるように頼んでみるわ。茉莉菜のマネージャーとも相談しなきゃだしな。まずは、どこ行きたい?」
「えー? いっぱいありすぎて選べないよ。でも、やっぱり……まずは、ディズニーランドかな」
『いいよ。いつか、ディズニーランドに連れて行ってくれたら、これまでの全部チャラにしてあげるちゃ』
 突如、驚くほど鮮やかに耳に甦ってきた会話は、声も口調も、そう言った時の表情はもちろんのこと、その時の彼女の服装さえ思い出せた。
「アユムくん? どうかした?」
 茉莉菜が腕の中で身じろぎし、歩は我にかえった。訝しげに顔を覗き込んでくる。
「……あ、いや……えっと、ディズニー? 好きなの?」
「うん、大好き! それに、彼氏と行くのがずっと夢だったんだもん!」

 そう言って、茉莉菜は歩の首に腕を回して抱き着いてきた。歩は茉莉菜の髪を撫でたが、その
手つきは優しいけれど機械的で、視線も天井のどこかを見つめている。
「……明日にでも叶えてやれるようなことなのにな」
「仕方ないよ、そういう仕事だもん。お互い」
「てか、一回も行ったことないんだよね、俺」
「ホントに? すっごく楽しいのにー!」
 裏切られた誓いと叶えられなかった約束。一体、どちらの方が多かっただろう。


   
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