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佐久間マリのオリジナル小説ブログ 18才未満の方の閲覧はご遠慮ください

   
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Black or white (1)
1.クラブ・リボンへようこそ


 隣に座る男の頬肉が顎とも首ともつかない位置で伸し餅のように垂れている。
 見れば見るほど異形な顔面が酒と皮脂でさらにテラテラと鈍く光り、ムードを演出するための薄暗い照明に今は赤黒く晒されていて不気味だ。
 まるで深海魚みたい。
 私は笑った顔の裏側でそう思う。
 確かに、ここは深い海の底に似ているかもしれない。
 光の一切届かない、過酷な闇。

 *

「こんばんは、サクラです。クラブ・リボンへようこそ」

 十分に余裕を湛えて頭を下げた私に寄越されたのは深海魚の不躾な視線だった。

「君がここのナンバーワン? またえらく素人くさいホステスだな」

 三白眼が私を値踏みする。高い金を払って指名したのにこんな女がと言わんばかりだが、この種の視線にはもう慣れっこだ。

『新しく入ったの?』。
 この仕事を始めて一年も経つのにいまだ新人と間違えられることがある。
 もとが童顔な上に、毛染めをしていない髪のせいで幼く見えるからだと店のママは言う。けれど、ナンバーワンホステスとなったからにはそんなことも言っていられない。なかなか備わらない貫禄にこうして揶揄されることもしばしばで、それは屈辱でもあった。
 一方で、まだ自分はいかにも水商売といったみてくれではなく、そう見られないことにほっとしているのも事実だった。
 この世界にどっぷり浸かる気はない。
 深海魚は中小企業の社長らしい。年齢は六十前後に窺えた。
 ベルトに乗った重そうな腹は伸し餅ならぬ鏡餅のようで、薄くなった髪を七三に撫で付け、どう贔屓目に見てもおおよそ好意の持てる外見ではなかった。けれど、身につけている背広はいかにも上質そうで、金色の高級腕時計が手首でその存在を主張している。
 ここで一番重要なことは好きか嫌いかではない。
 お金になるかどうかだ。
 いつもよりほんの少し、客とホステスの距離ではなく、男と女のそれに近い隣に腰を下ろす。私は身体をわずかに男の方に傾けて、
「お蔭様でこれでもこの店で一番のご指名を頂いております。今日はお客様に楽しんで頂けるよう、精一杯お相手させて頂きますのでどうぞお手柔らかに」

「ん? なんだ、見た目とは違って意外とガードがゆるいんだな」

 にやりと笑い、その手が私の太ももに載る。ロングドレスの薄いサテン生地から、その重みと温みがしっかりと伝わってきた。
 うちの店に限ったことではなく、たいていどこのクラブでも、ホステスへの『お触り』は禁止されている。といっても、そんなものはあってないようなルールで、よっぽどの行為でない限り、咎めることも拒否することも叶わないのが現状だ。
 その昔なら、触ってきた客を反射的に引っ叩くか、吐き気をもよおして化粧室に立っていた。しかし、それでホステスが勤まるはずもなく、カマトトぶったからといって避けて通れるわけでもない。成長なのか、慣れなのか、はたまた諦めなのか。いつしか、加齢臭には耐性がついたし、へつらいや心にもないお世辞がすらすらと言えるようになった。今では、楽しくなくてもちゃんと笑える。
 私は、深海魚の手を即座に跳ね除けるようなことはせずに、ひとまず受け入れるふりをする。

「なんだかお酒に酔いたくなっちゃいました。私も一杯頂いてよろしいですか? 普段は飲んだりしないんですけれど、今日は特別」

 語尾に絶妙な含みを持たせて言う。同時に、角が立たない程度の力で、肉付きのよい不細工な手をやんわり押し戻した。

「へぇ、なかなか」

 かわいいじゃないか、といやらしい笑みを浮かべて男が水割りを口に含む。
 結局、世の中、お金が全て。
 私がここにいるのも、全てはお金のためなのだから。



 最後の客を見送ると、ホステスたちの顔から瞬時に笑顔が消える。
 店の照明も色気のないものに変わり、その中をぞろぞろと更衣室に引けて行く。

「サクラ、今日指名少なかったぞ」

 店長に呼ばれ、私は足を止めた。
 深海魚がボトルを入れてくれたので売り上げに問題はないが、指名の数でみれば明らかに少なくたったの四件だ。最低でも十件、むしろ一日の全てが指名客くらいでないと、ナンバーワンとは言えないだろう。

「もっと営業かけて予約を取るか、同伴増やせ」

 店長の小言は最近毎晩に及ぶ。私なりに、ヒラのホステスでいた頃より、その何倍もがんばっているつもりなのだけれど。
 客に来店を無理強いしたくないという私の営業スタンスは、ナンバーワンになったとたんに許されなくなった。

「気に入らねぇ客だろうと、お前には選ぶ権利なんてないんだよ。こんなんじゃ、仕事以外のことまでサービスしなきゃならねえぞ」

「……はい」

「あ、それから熊田様だけど」

 店長は最近頻繁に来店する商社マンの名前を挙げ、
「アレ、お前に相当ハマってんぞ。取れるだけ取ってやれ」

 力ない返事をしてから、皆に遅れて更衣室のドアを開けると、狭い部屋に煙草がもうもうと煙っていた。

「聞いたァ? 指名四件だってさー。それでナンバーワンだなんて店のレベルが疑われるわよねぇ」

「今日来た客にも言われたわぁ、あれがリボンのナンバーワンなの? って」

「今日のドレスも見てよ、ペラッペラ。ダサい上に安モノだなんて見てるこっちが恥ずかしいわ」
 
 部屋が変われば今度は先輩ホステスからの嫌味だ。

「ちょっと! 最近、アタシの太客が来なくなったの絶対アンタのせいだからね! その客の未払いの十万、アンタが払いなさいよ!」

 妙な言いがかりや陰口などかわいいもので、物を隠される、盗られる、壊されるなど当たり前。もっと陰湿なイジメも日常茶飯事だ。
 私がここ、クラブ・リボンのナンバーワンホステスになって三ヶ月になる。
 悲しいかな実力でそうなったわけではなく、偶然回ってきたお鉢という感は否めない。風当たりが強いのはそのせいだろう。
 ホステスになって、毎日自分なりに頑張ってはいたけれど、もともとこの仕事には向いていないのだろう。絵に描いたような接客ができるようになるまで相当時間がかかったし、それまで絶対にやってはいけない失敗を繰り返したり、まるで居酒屋のアルバイトのような元気がいいだけの、明後日の接客ばかりしていた。そんな、ホステスらしくない未熟な私をいいと言ってくれる客もいたが、それはごくたまで、わずかだった。
 成績はもちろん勤続年数、そして実力から言ってもまるでなかったというのに、それまでナンバーワンだったホステスが辞めるという時に妙に多く売り上げてしまったことと、他に候補がいなかった事情が重なって今に至る。
 まったく名実伴わないナンバーワンであっても、結果は同じように、いやそれ以上のものが求められ、そのプレッシャーと言ったら半端なかった。
 私はホステスの道を極めたいわけじゃない。ナンバーワンであろうとワーストワンであろうとはっきり言ってどちらでもいいのだ。
 トークも下手なら、男に媚びるのはもっと苦手。かといって、それを差し引いておつりが来るほどの美人でもなければ、男を手玉に取るようなテクニックも経験も持ち合わせていない。むしろ、経験値は同世代女子より少ないといえる。そんな私が、職業の中でも最もセックスアピールを必要とするホステスという職について二年。向いてないことは重々承知で、それでも続けなければいけない理由とはただ一つだった。
 借金。それも結構な額の。
 この世界に求めるものはただお金。
 昼間働くよりも、少しでも多くお金がもらえればそれでいい。一刻も早く、借りたお金を返せればそれでいい。


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