忍者ブログ

佐久間マリのオリジナル小説ブログ 18才未満の方の閲覧はご遠慮ください

   
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

たぶん、きっと、ずっと、僕は8
8.


 一回目の音合わせを終えて、歩はヘッドフォンを外した。向かって右側の、定位置で演奏をする一太郎を見やる。

「太郎、サビのところだけどさ」
「あー、俺も思っとった。ダウン、ダダダ、ダウン、アップ?」
「うん、完璧」
 細かい箇所の調整をしていると、
『歩、今日、調子いいな』
 トークバックといわれる専用のマイクシステムを経由した声が録音ブース内に響き渡る。ミキサールームからガラス越しに見ていた谷川だ。
 通常のレコーディングは一人ずつ行い、一番最後に歩が歌を被せるが、今回はツアープロモーション用の音源なので、臨場感を出すためメンバー全員で演奏し録音するかたちをとっている。
「ソレ、アタシも思ってたー!」
 雅和がスティックの上にかわいく顎を載せて言う。
『なんだー? なにかいい事でもあったのかー?』
「えー?」
 歩はギターの音程を上げるためペグを閉めなおした。チューナーの画面から目を離して、ちらとガラスの向こうを見ると、谷川は中年のだらしない顔をさらにニヤつかせている。
「いいこと……ねぇ」

 買ったはいいがほとんど乗らずにいた車の走行距離が一日で六百キロも延びたこと。同居人、もとい同居猫が一匹できたこと。
 そして、スマートフォンの電話帳に新しい一件が加わったこと。
 昨日と今日で違うことといえばそのくらい、たったそれだけだ。
 ジャンと一つ掻き鳴らして、音を確認すると、
「別にないけど」
「アラ、そうなの?」
「しいて言えば、寝不足?」
「えー? 歩ってば、昨日寝てたんじゃないの? それで、お鍋、来なかったんでしょ!」
 背後で雅和が口をとがらせている。
 歩は肩をすくめて、再びヘッドフォンをつけた。


「来週から本格的なアルバムのプロモーションに入って行くからね。情報番組用のVTR撮影とラジオの録音がかなりある。それから、発売日の前日、十月十五日は都内でシークレットライブ。連休だし、いくらシークレットって言っても最近の情報網はすごいから予想よりも騒ぎになりそうだわ」
 レコーディングを終え、スタジオ内で休憩していたメンバーに槙田が予定表を配る。
「同時進行でツアーの打ち合わせとリハも入ってくるし、忙しくなるから覚悟しといて」
 ざっと見た限り、まるまる一日を拘束されることはそう多くなかったが、連日なにかしらの仕事が入っていて、そうこうしているうちにツアーが始まる感じだ。この調子でいくと、知らないうちに年が変わって、気がつけば季節は春になっていた、そんなことになりかねない。
「露出が多くなるな。散髪に行かねーと」
 友樹が自分の髪に触れながら言った。
「そういう発想っておっさんくさいよ」
「短くすんの?」
「だって、セットすんのも楽だしさ。風呂上りも」
「歩も行った方がいいわよ?」
「あー、前髪うっとおしいから、雅和切ってよ」
「ダーメ。普段ならアタシでも構わないけど、撮影も多いんだし、今回は美容院に行きなさい」
「面倒くさいんだよなー」
 しかし、襟足もずいぶん伸びてきたし、少しすっきりさせた方がいいだろう。根元の毛染めもできていない。
「メイクさんに頼めば?」
「俺行ってるサロンのスタイリストさん、男だし、いいよ。うまいし」
 ふと、昨夜のさゆりを思い出した。女性は髪の長さが変わるだけで驚くほどに変身するらしい。
 歩はポケットからスマートフォンを取り出す。
 着信もメッセージも届いていない。
 同窓会の往信用はがきには各クラスの委員の名前と、その連絡先としてそれぞれの電話番号が書かれてあった。さゆりの携帯電話は昔と変わっていなかった。忘れたつもりでいたが、十一桁の番号はまだしっかり記憶に刻まれていた。
 歩は、帰り道に立ち寄ったパーキングエリアでその番号を自分の電話帳に登録してみた。電話番号一つあれば各種SNSに登録されたさゆりのIDを探すことができる。しかし、そのどれにおいてもさゆりらしきアカウントを拾うことはなかった。女性だからその辺は用心しているのかもしれない。
 大きなあくびが一つ出る。
「きりやん昨日、寝てたとか言ってさ、実は喜多茉莉菜んとこ行ってたんだろー。あー、俺も彼女ほしー」
 一太郎が休憩スペースの自動販売機で買ったオランジーナを飲みながら言う。
 後ろで、槙田が聞いてないわよと言わんばかりに顔をしかめているので、歩はふるふると首を振った。そういえば茉莉菜からの連絡はない。きっと拗ねているのだ。互いに一般人の比にならない忙しい身で、空いた時間が重なるという偶然がありながら、たった二時間車を走らせれば会えたのに。
「じゃあ、今日こそは歩ん家でお鍋やりなおしましょー! 全員集合ー!」
「イエーイ!」
「またかよ……」
「どうせ明日の朝からもみんな一緒の仕事なんだし」
「槙ちゃん、友樹の車に乗せてもらうから送りいいよー」
「あら、助かるわ」
「友樹ィ、帰りスーパー寄ってね」
「マサコ、今日は鶏にしてー」
 いつものことではあるが、歩を無視してどんどん話が進んでいく。歩はスマートフォンを再びスウェットのポケットに突っ込みながら、「あ」と声に出して、顔を上げた。三人に顔が歩を向き、会話が止まる。
「きりやん? なに?」
「どうしたの?」
「俺ん家、猫いるけど。いい?」
「は?」
 予想外の一言に、みんなの声が重なる。

 一睡もせずにN県から車を飛ばし、歩が都内の自宅に帰りついたのは明け方だった。
 大荷物を抱え部屋に入ると、まずは猫をキャリーケースから出した。新しい場所を嫌がるそぶりも見せず、みゃあと一つ鳴く。
 胡坐の中に猫を置いて、さゆりにもらってきた本を開いた。リビングのテーブルの上にあった『はじめての猫』だ。
 冒頭の『絶対してはいけないこと』と書かれた中に、人間の牛乳をあげてはいけませんとあって、歩は笑ってしまった。さゆりはこの本をちゃんと読んだのだろうか。
 身体を洗ってやろうかとも思ったが、それも控えるように書いてある。拾ってきてまず一番にすることは健康状態のチェックらしい。幸い仕事は昼からなので、調べて見つけた近くの動物病院を、その診療時間が始まるのを待って連れて行った。診察の結果、若干栄養状態が良くないくらいで大きな問題はなく、併設されたトリミングサロンでシャンプーもしてくれるというので頼んで洗ってもらった。そのおかげで猫はさゆりがミルクと名付けたくなるのも頷けるようなまろやかな白色になった。
 ああだこうだ言いながら、歩の家を訪れたメンバーは、部屋に入るやそれぞれ初めての顔合わせとなる。
 男らは道端に転がる小石のような小ささの生き物に、そして仔猫はいきなり現れた大の男四人に、全員の一切の動きが止まる。
 猫はちょうど部屋を横断していたところらしく、前足後ろ足が出たままで固まっている。
「いやーん! かわいいー!」
 雅和の黄色い声が合図となって、全員を凍らせていた氷が解けた。猫はその軽い身体を弾ませるように走って、部屋の隅へ逃げ込む。しかし、雅和の大股に追いかけられれば、彼の数歩であえなくつかまり、おそらく生まれて初めてだろう高さまで抱き上げられた。みゃーと鳴く声がいつもより濁っているのは恐怖から助けを求めているのだろう。
「きりやん、この猫の鈴、超オシャレじゃん。マサコ、俺にも抱かせてー」
 さっきから動きに合わせてちりんちりんとなっているのは鈴の付いた黒いリボンで、今朝サロンで買ってつけたのだ。
「……歩、どうしたんだ、この猫」
 いまだ部屋の入口で一人、茫然としたままの恰好で固まっていた友樹が歩を見た。
「拾った」
「拾ったぁ? どこで?」
「秘密」
「秘密って……おい……えー、猫って。お前、動物とか飼えんのかよ」
 一太郎は、さゆりが買い揃えていたグッズの中にあった猫じゃらしでちょっかいをかけ、雅和といえば鋭さが人気のはずの目じりを思いきり下げて猫の身体に頬を擦り付けている。
「ねえ、名前はなんていうの、このコ」
 歩は背負っていたギターを自室に置きにいこうとみんなに背をむけたままで、ぼそりとつぶやいた。
「……リリィ」
「リリーちゃあん」
 雅和が改めて正面で抱き上げ、その名を呼ぶ。
「女のコみたいな名前でちゅねー、男のコなのに」
 リトル・リリィ。歩に新しくできた家族の名前だ。




 それが歩からの電話だとわかったのは、三回目の着信だった。
 歩の突然の訪問から一夜明け、さゆりが昼休みに携帯電話をチェックしたとき、午前中に知らない番号からの着信があった。就業中は携帯電話をロッカーに入れているので見ることもできないし、常から登録していない電話には折り返したりもせず無視している。同窓会の返信期日までは、はがきに番号を記載した手前クラスメイトからかもしれないと危険をかいくぐって出たこともあったが、実際に同窓会の問い合わせでかかってきた電話は一件もなかった。
 二回目の着信も、仕事中である午後の三時すぎにかかってきており、電話を取れる状態でその着信に居合わせたのはようやく夜になってからだった。
 入浴を終えて、リビングのソファで本を読んでいた。テレビもついておらず、音楽をかけたりもしていなかったので、いきなり鳴り出した着信音の大きさにびくりと驚いた。
 さゆりには苦手なものが多い。テレビはほとんど見ないし、インターネットも最低限の利用しかしない。いまだにスマートフォンでないこともそうだ。特に音楽に関しては、できればあまり近寄りたくないジャンルの芸術であり、聴くとしても洋楽かクラシックと決めている。もちろんCDショップに足を運ぶこともない。
 そんなさゆりの生活は、他人からすると少し窮屈に見える。風変わりな、つきあいにくい人物だと評されることもある。望んでそのスタイルを貫いているのだが、必ずしも本意ではない。見たいと思うテレビドラマだって、動画だってある。それでも避けるのは、ひとえに自分の身を守るためだ。氾濫する情報は、本人の意思にかかわらず過剰なまでに知り得てしまう。
 かかってきた電話番号は相変わらず見覚えのないものからだった。
「何回もかけてくるってことは何かしら用があるのけ……」
 それでもさゆりが迷っているうちにまた留守番電話に接続されたらしい。しかし、今回はメッセージが残されていた。
『もしもし……えっと、桐谷です。昨日は急にごめんな。ハガキの番号みてかけたんだけど。えっと、東京に帰って猫も病院で診てもらって……。えーと、また、電話します』
 その録音を聴いて、それまでソファに寝ころんでいたさゆりは慌てて起き上がり、その場に正座する。
「録音したメッセージは以上です」というアナウンスの終わりも待てずに、もう一度再生するもまたすぐ再生しなおして三度目の録音を聴いたとき、さゆりは携帯電話を持つ手が震えていることに気づいた。
 慌てて、昨日歩からもらったはがきを確認すると、そこに書かれた番号と同じ数字が着信履歴に表示されている。そういえば、番号が以前と変わっていると言っていた。
「またかけるって……」
 いろいろな選択肢と問題点とが頭をぐるぐる駆け巡ったが、考えるよりも行動していた。通話ボタンを押す。
 なぜか、歩から電話がかかってくるかもしれないという期待はすっかり抜け落ちていた。
 昨夜のことは夢だったのだときつく自分に言い聞かせて、今日一日何もなかったかのように過ごした。泊まっているならおそらくあのホテルだろうとか、自由な時間に市街地を出歩いていないかとか、今夜もこちらにいるのならまた来てくれるかもしれないなどは絶対に考えないようにした。歩が帰ったあと、コーヒーカップを洗うときも、スリッパを直すときも、感傷めいた気持ちを一切抱かないように努めて片づけた。歩の書いたはがきも他のクラスメイトから届いたものと変わらない扱いをしてある。あの時、一つにまとめて直したそのまま、見返したりすることは絶対しないと決めたのに。
 五年前からさゆりは電話番号を変えていない。歩がそれを忘れていたとしても、歩の手元にあるはがきにはさゆりの番号が書いてある。
 呼び出し音が鳴るまでの、電波を飛ばしているのだろう無音の時間がやたらと長い気がした。
「もしもし!」
『さゆり?』
「……うん」
 たったの二つの音を答えるだけなのに喉が痛かった。目の奥で涙が滲んでいるせいだ。
『やっとつながった』
「ごめん、何回も電話くれとったが」
『ううん。あの、昨日はありがと』
「もう帰ったんけ?」
『あ、うん、今朝のうちに』
 歩は早々に東京に帰っていたらしい。今日一日の期待や想像はさゆりの見事な空回りだったようだ。
『なあ、さゆり、ラインとかしてないの?』
「え? ああ、ラインね。うち、まだガラケーなん。ケータイもパケ放にしとらんから……」
『そーなんだ。番号同士でメールできるかなと思ってやってみたけど送れる文字数も少なくて、写真も送れないんだよね』
「そんながけ?」
『うん。猫の写真送ろうと思ったんだけどさ』
「猫ちゃんの? それは見たかったな」
『早くスマホにすれば?』
「うん、そやねぇ……」
『そうしたらラインできるし』
 歩は、自分はIDでしか検索できないようにしていると言ったが、さゆりは何のことかわからず、とりあえず、うん、うんと頷いておいた。一方で、早くもいつ機種変更をしにショップに行ける時間がとれるか考えている。
『何してた?』
「今? えっとね、本読んどったよ」
『何の本?』 
「ええー? 何でもいいやろー。そんなんわざわざいうほどの本やないちゃ」
 電話の向こうの歩が何をしているのか。さゆりには、今の歩の日常は想像もつかない。電話口は静かだが、まだ夜も早い時間だ。自宅からということはないだろう。夜通しのレコーディングであったり、芸能人は昼も夜もない生活をしていそうで、夜に起きるのか朝に寝るのか、そんなことすらわからない。仕事の合間だったりするのだろうか。それが、尋ねていいことなかもわからなかった。いつからこんな臆病者になったのだろう。
 何も言えずにいると歩自ら、
『俺は今屋上にいる』
「え? 屋上?」
『うん。マンションの屋上』
「な、なんで……? え、大丈夫? なんか、悩んで……」
 歩が声を出して笑った。
『それ、トモと一緒の反応。違うって。そういうんじゃなくて、ここ俺のお気に入りの場所なの』
「もう! ちょっと心配なったが」
『俺がそんなタマじゃないって知ってるだろ?』
 さゆりはあいまいに頷いた。
 繊細すぎるがゆえに持て余した感情を音楽で表現するのがバンドマンだとするならば、歩はそういうタイプではなく、むしろタフな方ではあったように思う。どこか飄々としたところがあった。
 だがそれも十代の、ましてやアマチュア時代の話だ。
 昔は、確かにそうだったけれど。
 芸能の世界に身を置いている今の歩にかかる様々なプレッシャーやストレスがどれほどのものなのかさゆりには想像もつかないし、今の歩は知らない人すぎる。友樹も同じように心配しているというのだから、そういったおそれがないとも言えないということではないか。
 さゆりが言葉を続けられないでいると、『東京の空はさー、夜でも赤いんだよなー』と伸びる声が聞こえた。
「そうね。そっちは夜でも空が明るいっちゃね」
『なに、知ってるみたいな口ぶりじゃん』
「知っとるよ。私も三年くらいそっちにおったちゃ」
『えっ、まじで?』
「まじだよー」
 さゆりが標準語で答える。
『いつ? なんで?』
「東京の短大行って、そのまま就職もしたし」
『全然、知らなかった……。なんでそっち帰ったの?』
「ん、まあ……、いろいろ」
『東京、合わなかった?』
「ううん、そうでないよ。今もしょっちゅう遊びに行くちゃ。来週の連休も行くし』
 さゆりは壁にかかるカレンダーを見ながら言った。来週末の十三、十四、十五、その数字に青ペンで丸がついている。

   
PR
   
Comments
NAME
TITLE
MAIL (非公開)
URL
EMOJI
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
COMMENT
PASS (コメント編集に必須です)
SECRET
管理人のみ閲覧できます
 
Copyright ©  -- Puzzle --  All Rights Reserved

Design by CriCri / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]