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佐久間マリのオリジナル小説ブログ 18才未満の方の閲覧はご遠慮ください

   
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たぶん、きっと、ずっと、僕は10
10.

『こんばんは、エッジワースです』
 まず友樹が言えば、後のメンバーが揃ってこんばんはと続く。
 そこだけはまるで高校の野球部の挨拶のようだ。挨拶は常に正しく、元気よく。ロックバンドたるもの気怠い感じがかっこいい、ともすれば無言で軽く頭を下げるくらいでいいとしていた彼らに口酸っぱく言って練習させた賜物なのか、今もさゆりの教えを守ってくれていることが嬉しかった。エッジワースがその礼儀正しさでも評価されていることを知らないくらいには、さゆりが動く彼らを見なくなって久しい。
『いつも応援して下さり、ありがとうございます』
 例のごとく、ありがとうございますとメンバーが続く。昔からMCは友樹の役回りだ。リーダーだからでもあるが、だからリーダーであるとも言える。四人は今、深夜の音楽番組にVTRで出演している。
『えー、十六日にニューアルバム“スリーディメンション”が発売になります』
『なりまーす! いえーい!』
『二年ぶり三枚目のアルバムということで、どうですか』
『そうですねー、一言で言えば、激しいというか若さが溢れてる感じですかね』
 会話は友樹と一太郎だけで進み、歩と雅和は終始それに相槌を打つのみだ。雅和の口数の少なさはひとえにぼろがでないようにストップがかかっているためだったが。
『いやホントに、桐谷がイケイケでね』
『イケイケ……っすか』
 歩が友樹の言葉に静かに反応している。
『どうしたの? 大人の落ち着き忘れちゃったの?』
『まあ、なんか……そういう気分でした』
『そういえば、レコーディングしたスタジオにアイスの自販機が新しく設置されてたんですけど、それを超食べたよね』
『食べたねー。一曲弾いたら食べる、弾いたら食べる、の繰り返しでした』
『レコーディング中、軽く三十本は食べたよね。何回も売り切れのランプが付いてですねー。受付のお姉さんに納品の催促なんかしたりもして』
『お姉さんに言ったって仕方ないよね。メーカーさんに言わないとね』
『いや、お姉さん電話してくれたって言ってたよ』
『え、マジで』
 こういったVTRにありがちな内輪ネタで盛り上がり、メンバーは楽しそうにそれぞれ肩を揺らしている。
『十種類くらいのアイスがあって、大きく分けて、こう、棒のついたスティックタイプとコーンスタイルとモナカがあるんですけれど、まあ、僕らは新しい味とか気分とかでいろんな種類をまんべんなく食べたんですが、桐谷だけは頑なに』
『モナカだったよね。常にね』
 一太郎の突っ込みに、撮影に従事しているスタッフの笑い声が入る。
『きりやん、あれは何でなの? アイスといえば棒つきかコーンでしょ? まずは』
『いやー……なんでって言われても……』
 歩は照れながら、
『……モナカ、美味しいです』
 というと、また画面の中は笑いに包まれる。
『ま、そんなわけで、スリーディメンションとか難しく言ってますが、早い話が3Dのことでして』
『はい』
『そんなモナカ好きでイケイケな桐谷がですね、今回もまたカッコいい歌を作りまして、エッジワースの新しい一面といいますか、今までの横と縦の広がりに加え、新たに奥行きがプラスされたカッコいいアルバムに仕上がっていると思います』
『リーダーが上手くまとめてくれました』
『はい、そんなわけで』
『そんなわけでって、さっきも言ったよ』
『……というわけで、十六日発売のニューアルバム“スリーディメンション”、どうぞよろしくお願いします』
『お願いします』
 メンバーが頭を下げる。
『それでは。エッジワースでした』




「なにこの男、ちょっとイタイの?」
 テレビの中の歩を、手にしたスルメで指し示しながら三浦翼みうらつばさは缶ビールをあおった。片膝を立て、テレビに向かってああだこうだ言う姿は立派なオヤジだ。
 東京滞在中、さゆりは都内の翼のワンルームマンションに泊めてもらっていた。
「ちがうよー。歩は頭いいよ」
「そうなの? でも、めんどくさそう」
「うん……まあ、独特の雰囲気っていうか、独自の空気は持ってるかな。その辺はやっぱり芸術家肌っていうか。でもごく普通の男の子だよ」
「私、だめだわ。そういうタイプ。もっとハキハキ、ガツガツしてるのがいい」
「つばっち自身が体育会系だもんね」
 翼は女子にしては長身で、涼しげな顔にショートカットが似合っている。見た目も中身もボーイッシュな彼女は、高校時代は女子バレーボール部だったという筋金入りの体育会系だ。
「しっかし……」
 翼はスルメをしがみながら、しみじみと溜息をついた。
「この男がねえ。さゆりが高校の時に付き合ってたバンドマンのことをいまだ未練たらしく引きずってるのは知ってたけどさ。どうせ売れもしないのに夢ばっかほざいてる現実見えてないバカ男かと思ってたのよ。それがあんた、まさかエジワスのボーカルだとか、まじでびっくりよ」
「黙っててごめん……」
 さゆりは頼りなげに笑ってごまかした。
「で、連絡は? こっちで会えたら会おうってことになってんでしょ?」
「うん。でも……忙しいみたい」
 さゆりはちらりと自分のスマートフォンと見た。
 あれから歩とのやりとりは頻繁に続いていて、この度の上京も明後日のシークレットライブに誘われているほか、時間が取れたら連絡するので食事でも行こうと言われている。ひとまず東京滞在一日目、今のところ連絡はない。
「まあ実際のところ、私も芸能人がどんな生活してんのか知らないけどさ、普通に考えて忙しいだろうね。だって相手はエジワスだもんね」
 車窓から見える看板だったり、駅構内の広告だったり、エッジワースのニューアルバムの宣伝はいたるところで大々的に行われていて、さゆりはどきどきしながら久しぶりの東京の街を歩いたものだった。
 テレビの中で歩が歌っている。告知の後に一曲披露するという番組構成らしい。
 さゆりが歌っている歩を見るのも、その声を聞くのもどれくらいぶりだろう。歌が当時より格段に上手くなっていてさゆりは少し驚いた。
「無駄にイケメン君でおまけにこれぞ正真正銘のイケボってか。罪だね」
「イケボってなに?」
「いい声ってこと」
 翼は、膝を抱きこみ小さくなってテレビを見ているさゆりに目をやって、
「あんたは、こんなにフッツーの一般人のなのにねえ。逃がした魚は大きいねえ。あれだね、あんたが地元でぼっちだったのは単なる妬みだね。ったく、こいつも恩を仇で返すなっつーの」
「恩って、別に恩を着せるようなことうち、何もしてないよー」
 さゆりは卒業後、東京の短大に進学した。そこでは今もつきあいのある友達が数人でき、職場で知り合った翼とも唯一無二の親友と呼べるほどに仲良くなったが、地元には一人も友人がいない。それを翼が知ったときにはひどく驚かれたが、それも、歩のことを知った今なら納得できると彼女は言った。
「中二かあ。向こうから告って来たんだったっけ?」
「うん」
「で、高三までか。うわー、青春まるごと持っていかれちゃって。かわいそうに」
「そんなことないよ。楽しかったし、部活なみに全力投球だったから、エッジワースのおかげでザ・青春って感じの過ごし方をさせてもらえたから、逆に感謝してるよ」
「なんでそんないい子なの、アンタは!」
 少し酔いの回っている翼は、そう言ってさゆりに抱きついた。
「私が男だったらさゆりと結婚してあげるのに!」
「うちはつばっちでぜーんぜん構わないよ」
「いや、うちの実家田舎だからね、それは無理だわ。そーいうの今どきなのはね、なかなか受け入れらんないから」
 二人で笑う。今一緒にいてくれてよかった、とさゆりは心の底から翼に感謝した。
 歩が作る今の歌を、さゆりは思っていたより穏やかに受け止められている。一時はエッジワースの歌を耳にするだけで身体が硬直し、息が上手くできないときもあった。精神的にというよりは、偏に溢れ出そうになる涙を必死に堪えるためだったが。
「さゆりがさ、別れるって言った時、向こうはなんて言ったの?」
 翼は話だけをさゆりに向けて、視線はテレビの中に留めている。
 高校の卒業式の日を振り返る時、脳裏に浮かぶのは卒業生の胸につけられた白い花のリボン徽章だ。まだまだ寒さの残る春の日だった。
 歩は最後に、わかった、とだけ言ってさゆりの前を去った。
 高校三年生の年明けにエッジワースの正式なデビューが決まると、最初こそ歩と東京の事務所に同行したのはさゆりだったが、それからは常にメンバーと東京を往復するようになった。当然のことだ。さゆりは自他共に認めるエッジワースの一員だったがメンバーではない。マネージャー気取りも大人にしてみればただの遊びの延長だった。
 度々東京に出向くようになったメンバーをさゆりは一人地元でその帰りを待つ。それでも、彼らにみるみる広がっていく新しい世界や話題に上る知らない名前に卑屈になったことは一度もなかった。メンバーはもちろん歩はいつも優しく丁寧に東京であったことをさゆりに教えてくれた。さゆりの知らないことが何一つないように。
 しかし、そんな歩もその時のさゆりの現状を気遣う余裕があったかといえばそこまではなく、もっともさゆり本人すらわかっていなかったのだから、歩にそれを求めるのは酷な話だ。
「デビューは目標だったけどゴールじゃない。その先にはもっと険しく厳しいレースが待ってる。ただ、うちだけはゴールテープのその先にもうコースがないってことにようやく気づいたの」
 そのほかにも気づいたことはあった。さゆりの人生からエッジワースをとれば何も残らないという事実は思った以上に恐ろしいことだった。夢も希望もない。友人もおらず、明日はおろか一秒後さえも彼らがいなければ無意味で無価値な人間なのだった。
 数回にわたってその時期、時期に、進路調査票が配られていたはずなのに、さゆりは何と書いて出したのか覚えていない。それくらいにかつては優等生気質だったはずのさゆりは学校生活に不真面目で、卒業目前になって進路の相談をしに行った担任教諭に『進路は桐谷の嫁なんじゃないのか』と皮肉を言われたくらいだ。
「ともかく、私も上京しなきゃと思って、慌てて音楽系の専門学校を探したの。将来の夢はもちろん、趣味も特技もやりたいことももちろんなかったし、どこまでいってもエッジワースが中心でしかなくて……」
 メンバーが上京の準備をどんどん進めていく裏で、さゆりは一人で学校探しとひたすらアルバイトに精を出した。歩をはじめメンバーの誰もがその時、さゆりのことを考える余裕はなかったが、当然に一緒に東京に行くものだと思っているようだった。
 それは卒業式間近の、音楽マネジメントを学べるたくさんの学校の中からようやく一校を選び、どうにか二月下旬の最終試験に間に合いそうだと安堵したのとほぼ同時だった。
 歩と東京を訪れた際に、エッジワースが所属することになる事務所の槙田という女性に連絡先を教えていた。その槙田からさゆりに突然電話があった。
 とても失礼なお願いであることは承知の上で、と彼女は前置き、
『歩と別れてもらえませんか?』
 槙田の口調に、もはや歩がさゆりのものではなくなっていることに気づかされた。新人、特に顔で売り出すこともできるミュージシャンには女性スキャンダルが命取りだと槙田は言った。加えて、デビューしたらしたで芸能界はやっぱりいろいろあるとの事だった。これから売り出す商品の身辺整理の一環に、さゆりは含まれていたらしい。
 大人が、高校生同士のつきあいというものをどれだけ安っぽくみていたかはさゆりも大人になった今ならわかるが、当時はさゆりには珍しく抵抗したものだ。
 それでも、誰よりエッジワースを応援し、世界で一番に彼らのファンであるさゆりこそが、その全てであるエッジワースの将来を傷つける因子になれるわけがなかった。
 槙田からの何度目かの電話で、さゆりはわかりましたと返事をした。
『ごめん、別れたい』
 そう言ったさゆりに、歩は長い時間驚いていた。
 それもそのはずで、会う時間こそ減ってはいたがそれは仕方のない流れの中のことであって、別れを予感させるようなものは二人の間に何一つなかった。
 歩はようやく、なんで、とさゆりに訳を尋ねた。
『他に好きな人ができた』 
 またしばらくの沈黙の後、俺のこと好きじゃなくなった?と言い、さゆりは頷いた。涙を押し込めるためには笑うしかなかった。そして、歩のためには笑わなければいけなかった。
 卒業生の歩のブレザーの右胸には白い花のリボンがついていて、さゆりはそれをじっと見ていた。ひたすらそれを見ていた。そのせいか、歩の顔はよく覚えていない。
 代わりに、恋人だった二人の最後を何度も思い出す。卒業式の前日に、歩の制服のダブルのブレサーを見て、この場合の第二ボタンってどこのことやろうねと話したこと、それが幸せだった最後の会話だ。もっとも、その時にはさゆりはすでに別れを決めていたので、完全に幸せとは言えないかもしれない。それでも、笑い合えた最後の記憶はそこにある。
「歩は、わかった、ってそれだけ言って……」
「それっきりだったの?」
「うん。それっきり」
「五年間?」
 さゆりは頷いた。
「うちは結局、東京の短大に進学したけど会う機会なんてなかったし、もちろん偶然会ったりするなんてこともないし」
「おじさんやおばさんのお葬式にも?」
「うん。友くんは来てくれてたみたいだけど……。うちも正直あまり覚えてなくて。でも歩は知らないんじゃないかな。この前家に来たとき、旅行でも行ってるのかって親のこと聞いてきたから」
 やりきれなさをどうにかせんとばかりに、翼は手にしていた缶ビールを高らかにし、一気に喉へ流し込んだ。ぷはっと飲み干すと男まさりに缶を握りつぶし、
「言ってやりたいよ。あんたらにはバンドがあって、仲間があって、夢があってさ、けどさゆりには何もなかったんだよって。友達もいなくて、お父さんお母さんも次々に亡くなってさ……それでも一人で頑張ってさ……」
「つばっち、ありがとう」
 見た目によらず涙もろい翼が代わりに泣いてくれる。
「……でもね、歩はもちろん、誰も何も悪くないの」
 どちらかといえば、ひどい女なのはさゆりの方だ。少なくとも、歩はそう思っているだろう。
 歩もデビューが決まった時点で事務所からさゆりの件については言われていたらしい。
「それなのに全然別れようとしないから、しびれをきらしたマネージャーさんがうちに言ってきたんだよ。むしろ、うちの方が悪い。槙田さんに応じたのはうちだから」
「負けたんじゃなくて折れたんでしょ。さゆりが譲ったんじゃん。エジワスの将来のために」
「だから後悔はしてないよ。エッジワースがデビューして売れることはうちも心から望んでたし、それに遅かれ早かれ、いつかは捨てられてただろうし。だからせめて、先に捨ててやれーって思って、ポイッと」
 さゆりは悪戯な笑いを浮かべ、肩をすくめた。さっきから全く口をつけられずにテーブルに置かれているビールはもうぬるくなっているだろう。
「五年ぶりに会って、彼、変わってた?」
 突然の再会に、少し開いてしまったさゆりの傷口に薬を塗ってやるようなつもりで、翼は優しく尋ねる。
「うーん。変わってたような、全然変わってないような。外見は変わったように思ったかな。大人になってて、あー、うちは全然変わってなくてすっかり置いていかれてるなぁって」
「ましてや相手は芸能人だしね」
「緊張したけど、でもずっと会ってなかったのに少し話すだけですぐ昔に戻れて、二人でいるとやっぱり歩は変わってなくて、不思議だなーって」
 さゆり、と翼が声をやや厳しい調子に改める。
「それでも、会ってない時間があったってことは事実なんだよ。さゆりだって自分では思ってないだけでいろいろ変わってるよ。変わらないなんてこと絶対ないんだから。それが今は再会の喜びに隠れてわからないだけだよ」
 翼は、
「私は反対」
 とはっきり言った。
「むこうにしてみれば、ちょっとした気まぐれで思い出して、過去をつまみ食いくらいにしか思ってないよ。そんな扱いだよ、どうせ」
「うん。わかってる。歩が会いに来てくれたのだって、歩の中でうちが過去になってるからだってことも。今更そんな分不相応な勘違いしないよ」
「わかってるならいいけど。何回も言うけど相手は芸能人なんだからね。いくら元カレだろうと所詮は売れる前の話で、今はもう別世界の人なんだから……ま、あんたは意外と冷静でシビアだからそんな愚かな……」
 そう言いながら立ち上がり、冷蔵庫から次のビールを手に戻ってきた翼は、思わずそれを落としそうになった。
「でもね、つばっち」
 もうすでにエッジワースは映っていない。それでもテレビの画面をじっと見つめたままで、さゆりは涙を流していた。
 たて続けに両親を看取った時でさえ、さゆりは最後まで人前で涙を流すことはなかった。そのさゆりが、今目に涙をいっぱいためて、頬にそれを伝わせている。
「どうしよう、嬉しいの」
「さゆり……」
「どうしたらいいかわからないくらい嬉しくて……そんな自分が、今もまだいるんだよ」
 翼は、この五年の間にもさゆりが歩への想いを痛いほどに育み続けていたことを知る。
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