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佐久間マリのオリジナル小説ブログ 18才未満の方の閲覧はご遠慮ください

   
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たぶん、きっと、ずっと、僕は18
18.

 十一月も下旬に差し掛かり、急に厳しくなった朝晩の冷え込みがすぐそこまで来ている冬を意識させる。
 歩は屋上で、夏に比べて格段に遅くなった夜明けを待っていた。
 今日は、ギターは持ってきていない。手持ち無沙汰ではあったが、さすがに歩もこの季節、音で遊んだり、歌を考えたりするほど悠長に屋上で過ごすことはしなかった。
 それに、ギターなら昨日のリハーサルで嫌というほど弾いたし、ついでに言うなら、ここに来る直前まで数時間、部屋でピアノを弾いていた。そのせいで歩の頭の中はいつも以上に音符とメロディが氾濫している。
 相変わらずメンバー三人は歩の家のリビングに泊まっている。身体は疲れていたが、歩はとても眠れる精神状態ではなかった。
 ヘッドホンをつければ、深夜であろうがなかろうが、誰が寝ていようともいつでも弾ける電子ピアノは素晴らしい。おかげで、ひたすらに弾き続けた歩のショパンは、ただ歩の脳髄にだけその激しい旋律を届けた。
 ピアノは小学校を卒業する時にやめた。男子でピアノを習っているということが、当時ひどく恥ずかしかったからだ。
「うおっ、寒っ!」
 重いドアが閉まる音がして振り返れば、首をすくめた友樹が口元を覆い、煙草に火を点けている。
「屋上、禁煙だってば」
「見逃してくれよ。気持ちいいんだよ、ここ。つーか、寒すぎんだろ。お前まじこれ風邪ひくぞ」
 歩はダウンジャケットを着ているが、友樹はまだ秋物のジャケットだ。寒いに決まっている。
 ややあって友樹が、
「……さゆりに連絡したのか?」
 歩は一番上までファスナーを上げたそこに口許を埋め、その中で、ううん、と言った。
 昨日の朝、歩は槙田の話を黙って最後まで聞き、そして、予定通り午後から深夜までぶっ通しでリハーサルをこなした。そこでプロデューサーの谷川と顔を合わせたが、彼も槙田と同じことを言い、そして歩に詫びた。
 正直、怒る気力もなかった。
 そして、芸能界という世界を少なからず知った今、大人の事情がなせる理不尽さというものに幸か不幸か免疫ができ、諦めという名の納得ができる歩もいる。
 槙田の理由が、デビュー前の身辺整理であることは言われずともわかったが、共犯者である谷川の言い分は違っていた。
 谷川は、歩の持つ音楽的才能ゆえだったと言った。谷川に見いだされた時、歩は荒削りではあれ、もうすでに完璧だった。安定はプロになる上で強みだが、アーティストとしては面白みに欠ける。足りないものを埋めよう、求めようとする力に歩の伸び代と可能性があるのではないか。だから、歩から何かを奪ってみたかったと。
「それはとんだ大誤算だな、谷川さん。お前が見事なまでにその辺を切り離して考えられる人間だって知らなかったんだな。さゆりに振られて、確かに私生活はかなりヤバかったし、荒れてたけど、仕事っていうか音楽に関しての出来は全くその前とブレなかったもんな」
 友樹が白い煙を吐きながら笑う。
 もっとも、変化がなかったわけではない。変わったことが一つある。歩が公にラブソングを作らなくなったことだ。インディーズ時代は、少ないにしても恋や愛を歌ったものがいくつかは持ち歌にあった。
「デビューが決まってすぐ、俺も言われたんだ。さゆりとは別れろって。それがデビューの引き換え条件だくらいの勢いでさ。でももちろん無視してた。そんなことで別れなきゃならない理由がわからなくて。だから、槙ちゃんに別れろって言われて、ハイわかりましたって言えるくらいだったのかな、さゆりの気持ちは、とか思って……」
 友樹に言ったように、さゆりに連絡は取っていない。正確には、なんと連絡すればいいかが本当にわからないでいた。
 さゆりから返事がこないこと、そして、槙田から聞いたさゆりの気持ちも含めて、全てがわからない。
「雅和じゃねえけど、こういう時はやっぱ会うのが一番だな。けどこのスケジュールじゃあな……そうそう会いにも行けないか」
 友樹が長く息を吐き出した。煙は屋上の強い風に巻かれてすぐに霧散する。残念そうに言うので、歩は少し笑った。
「お前、反対じゃなかったの?」
「反対とかそんなんじゃねーよ。ただ……」
 見るからに言いにくそうにしている友樹に、
「実はさゆりが好きで、隠れて付き合ってるとかそんなカミングアウトだったらいいから。一生、騙し続けてくれ。でないと、俺、人間不信になっちゃう」
「違うよ……」
 友樹は携帯灰皿に煙草の先を押し付け、ますます叱られた子供の顔のようになった。
「だったらなに?」
「もう、さゆりのことはそっとしておいてやってほしい」
「……なんでそれをお前が言うの?」
 歩の口調は明らかに棘を含んでいた。
「……お前らが別れてから、俺、一回さゆりに会いに行ったんだ。さゆりも東京に出てきてるって知って、こっちで会った」
 今まで黙っててごめんと苦々しい顔で言って、最後に頭を下げた。
 何が腹立たしいのか明確な理由はわからなかったが、昨日から確実に胸中は波立っている。些細なことが癇に障る。
「余計なことだってわかってたけど、あの時のお前を見てらんなかったんだよ。同時に、さゆりに好きな人が出来たって言う理由も納得できなかったから、黙って引き下がったお前の代わりに、その好きなやつって誰なんだ、歩がこれからって時にそんな薄情なやつだったのかってさゆりに……」
 さゆりは最初こそしらを切っていたが、しつこく、そして厳しく問い詰める友樹にとうとう泣き出し、
『エッジワースが成功するために、歩にうちがおったらあかんちゃ』
 結局、さゆりは明言を避けたが、後日槙田に真相を尋ねたところあっさり、自分が彼女に別れることを強いたと言った。それが芸能界の常識なのよ、と。
「手が付けられないくらい泣いちゃってさ。そんなあいつ見て、一番つらかったのはさゆりなんだって、恥ずかしいけどその時初めて分かったよ……」
 その時わかった友樹はまだいい、と歩は思った。もっとも恥ずべきは、今もそれがわからない歩だ。
「東京に出てきて、最初は全然売れなかったし、芸能界は厳しい世界だったし……でも目標とか夢はあったし、そのために俺らにやらなきゃなんないことは山ほどあった。夢に向かって努力するしかなかった。けど、わかるか? さゆりには……何もなかったんだよ」
 友樹はその時、さゆりが東京に出てきたのは逃げたかったからもしれないと思った。
「お前らが別れた理由を他人が知るわけがない。ほとんどの人が、デビューが決まってお前がさゆりを捨てたと思っただろう。そんなさゆりにあったのはきっと安い同情や嘲笑で、でもさゆりは一人でそれに耐えなきゃならなかったんだ。さゆりに友達の一人でもいたか? それは、さゆりの毎日を独占してたお前が一番よく知ってるだろ? 俺らにとって、エッジワースが青春のすべてだったように、さゆりにもそうだった。でも、さゆりはそれさえも奪われちまってさ……」
 そして追い打ちをかけるつもりではなかったが、最後に、友樹はさゆりの身に起こった最も不幸な事実を二つ告げる。
 さゆりは、この三年の間に立て続けに父と母を病気で亡くしている。
 それまで険しい顔で視線を伏せていた歩だったが、立ち上がり、友樹に詰め寄った。
「嘘、だろ……? さゆり、そんなこと一言も……」
「おじさんの時は太郎と二人で葬式に行った。おばさんの時は、俺一人だったけど、通夜に少しだけ顔を出した」
「なんで……。俺、全然……」
 歩は信じられない面持ちで、珍しく動揺を露わにしている。
「お前が知らなかったのは仕方ない。俺らは実家が向こうにあったから知っただけで、お前の家はこっちに引っ越してきてからの事だ。……さゆりを話題にすることで、またお前の傷が開くんじゃないかって思って、俺たちも言わなかった」
 何せ中学の二年から付き合いのあったさゆりだ。もちろん、歩はさゆりの両親のことを歩もよく知っているし、世話になった。
 さゆりの学力ならもっと偏差値の高い学校を目指すこともできたが、歩と同じであることを優先させて地元の公立高校に進学したときも、さゆりが勉強などそっちのけで不良じみたバンドに関わっていても、非難めいたことを言われた覚えはない。いつも温かく見守ってくれ、さらには応援までしてくれていた。歩が毎日さゆりを家まで送り届けると、お腹減ってるでしょ、ご飯食べて行きなさい、と家に上げ、さゆりとさゆりの両親と、あの居間の小さなコタツに四人で入って鍋をつつくのが冬の恒例だった。
「この前の同窓会のハガキ、あっただろ? 返信を出す時に、元気かって一言添えてメアドも書いておいたら、さゆりからメールが来たんだ。元気だ、ようやく今の生活に慣れてきた、って書いてあった。遠くからだけど、ずっと俺らを応援してるからって……」
 友樹は声に涙を滲ませ、「歩」と呼んだ。鼻の頭が赤くなっているのは寒さのせいだけではない。
「さゆりはここまで頑張って一人で立直ってきたんだ……。俺は、お前らのヨリが戻るのを反対してるわけじゃない、それを邪魔するつもりもない。けどさ、槙田さんが言った答えを、もしさゆりが出したんなら……頼む、もう関わってやってくれるな……」

*

 歩がかけた電話に、さゆりは出てくれた。
 朝からメンバー全員で仲良く雅和の作ったスタミナ朝食を摂り、揃って出勤したスタジオに相変わらずずっと篭っている。窓一つないつくりなのでもともと昼夜の別は感じられないが、針を回す時計だけは忠実でそろそろ十二時間が経つ。時刻は午後の十時だ。
 さゆりも帰宅しているだろうと歩は電話をかけてみた。
 煮詰まってきたからと一旦取られた休憩時間だが、仕事の精度を考えると今日はここまでとなりそうな雰囲気だ。
 出てくれるかどうかわからなかったが、聞こえてきたさゆりの声は拍子抜けするほどにいつもどおりだった。
 突如、泣きたくなるほどにさゆりに会いたくなって、迷っていた気持ちが固まる。
「さゆり、今からそっち行っていい? 三時か四時……まあ、明け方には着くと思うから、起きてくれる?」
 案の定、さゆりは素っ頓狂な声を出した。
『どうしたの? なんかあった? 仕事は? 今、忙しいんやないのけ?』
「明日もリハがあるからその足で帰るくらいの勢いだけど、どうしても今すぐ行きたい。おじさんとおばさんに線香、あげに……」
『あ……、聞いたんけ?』
 歩は、小さく、うん、と頷いた。
「俺、おじさんとおばさんにはほんとにすごく……世話になったのに……」
『そんなの平気ちゃ。今度、またこっちに来たときにでもちょっと寄ってくれたらええよ。むしろ、忙しくてそんな疲れとるのに無理して夜中に車飛ばして来たほうが、危ないって父さんも母さんも怒るちゃよー』
「いや、おじさんとおばさんのことももちろんあるけど、さゆりとちゃんと話がしたいんだ。だから、行く」
 今にも出発しそうな勢いでそう言いきると、さゆりは慌てて、
『待って、待って! なら、うちが行くちゃ。今の時間ならまだ深夜バス間に合うし! ちょうど明日、土曜やし』
「そんな、わざわざ……申し訳ないし」
 会いたいし、会いにきてくれるなら最高に嬉しいけれど、ともちろんその言葉は胸中に留める。
 さゆりは、ううん、と一つ置いてから、
『うちも歩に話がある』
 と言った。


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