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佐久間マリのオリジナル小説ブログ 18才未満の方の閲覧はご遠慮ください

   
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チョコレイト・ラブ 24
24


 それからクリスマスイブまでの数日は実にあっという間だった。この時期、書店で組まれたクリスマスフェアやイベントに借り出されることも多い。
 今日も私は午前中は印刷会社に詰め、午後からは配送で間に合わない分の納品のために隣県の書店へ、そしてそこではプレゼント用のラッピング要員として書店員と一緒になって働き、東京に戻れた頃にはもう夜になっていた。町はイブの夜を楽しむ人で賑わっている。みなどこへ向かうのか知らないが、明らかに自分はその人の波に逆らって進んでいるように思えた。
 クリスマス本番の明日は田崎と会うことになっているが、その後連絡はあれきりなく、私にしてもどうしていいものかわからずに仕事が忙しいのを理由にそのままにしていた。付き合ってほしいと言われたわけではないのでイエスノーの返事がいるわけでもなさそうだが、かといって何もなかったことにはできない。
 困り果てて直子に相談すると、やっぱりね、と言い、
「私も好きです、か、私は好きじゃありません、のどちらかに決まってるでしょ」
 と気持ちのいいほどわかりやすく、至極簡単な答えを用意してくれたが。
「ただいまです」
「おー、お帰り。お疲れさん」
 会社に戻ると時刻はすでに二十一時前で、いつもように宮下が一人残っているだけだった。デスクの上は処理待ちの書類が山積みになっている。
「宮下君、帰らなくていいの? イブの夜、街は恋人たちでいっぱいだったよ?」
 私は自分の椅子に重い鞄をどすんと音を立てて置く。
 宮下には付き合って一年足らずの彼女がいる。おそらく二人で過ごす初めてクリスマスのはずだ。冷やかすように言うと逆に意地悪な笑みで返された。
「神谷さんこそ、こんな時間にわざわざ社に帰ってこなくていいんスよ? せっかくのイブなんスから」
「あいにく私は仕事が恋人なので」
「相変わらず枯れてんねぇ」
 応接セットの奥に置かれたクリスマスツリーに目をやる。
 児童出版社だからという理由で毎年ここにクリスマスツリーが飾られるのだが、それでなくても繁忙期、周りには段ボールが山積みになっていて、目指すところのメルヘンさとは程遠かった。ただ今は残業時間ということもあって照明が半分になった暗いオフィスで、チカチカと点灯して初めてツリーらしさを主張している。
 然もクリスマスは仕事だと言っていた。田崎から連絡がないのをいいことに、私は今も然と過ごした時の余韻に浸っている。ぼうっと一人で考え事をする時間を与えられればいつもあの夜のことを考えている。然とは駅の改札口で別れ、別方向の電車に乗った。翌日に会社のパソコンに簡単なお礼のメールが届いた。お礼が必要なのは私の方で、当初の目的とは裏腹に支払いは然がしてくれたのだ。
 また近いうちに飲みに行きましょうと締められていたが、以前のように話をしたり、ご飯を一緒に食べたりできれば私も嬉しい。然はそれを時間と環境の変化のおかげだと言った。この数年間、頑なに拒んできたはずの然との距離を一瞬でないものにさせた環境の変化とは一体なんなのだろう。
 そもそも、今の状況こそなんなのだ。
 然が私を助けに来てくれたのは別れた元妻だからだろうか。彼の優しさからだろうか。
――それとも。
 然は綾とはつき合っていないはずだ。二人の間に何かあると私が勝手に勘ぐっていただけだ。そうだとして。
 仮定を立てては打ち消す。それを繰り返している。
 少しでもその答えの手がかりが見つかればと、あの日然と話したことの全てを覚えていたかったのに思い出せるのはごく断片的なものばかりだった。
「んじゃ、悪いけどお先」
 ぼんやりとする私に、背後から宮下の声がかかる。
「お疲れ。冗談ぬきで待ってるんじゃない? 彼女」
「ご心配なく。会えない時間が愛を育てるんです」
「ハイハイ、ごちそうさま」
「神谷も早く帰れよ」
 そう言って、宮下は帰って行った。時同じくして直子からのメールが届く。先日練習したクリスマスのおもてなし料理が仕上がったことを知らせるもので写真が添付されている。
 しかしクリスマスイブの今夜、ユキの仕事は大忙しだろう。その帰りを直子は今からご馳走を用意して待っている。他の女の人と今を過ごしているユキをどんな気持ちで待つのだろう。
 形はちがえど、恋は楽しい半面切なさや辛さもたくさん合わせ持っている。また大事なものを作ってしまったら、失う辛さにおびえなくてはならなくなる。せっかく然と以前のような関係に戻れたのだから、それ以上を望むこともなく、それ以下に逆戻りするのでもなく、今のままがいいのではないだろうか。今の関係は恋と違ってきっと失うことはないはずだから。
 その時、ドアをノックする音がした。
「ん? どうしたのー? 忘れ物?」
 宮下だと思い、誰かも確かめずにドアを開けて、そこに立っていた人物に目を丸くした。
「然……。ど、したの?」
「K印刷の帰り。梓がイブも仕事だって言ってたのを思い出して、近くだから寄ってみた」
 ビニールの買い物袋が差し出される。
「クリスマスケーキ。そこのコンビニのだけど。ビルの下まで来たらさ、ちょうど宮下さんに会ったんだ。梓が一人で寂しく残業してるって言うもんだから」
「あ、ありがとう」
 とにかく入って、と私は然を中に誘った。突然のことでまだびっくりしているが、どうやら夢の話ではないようだ。まさかクリスマスイブにこうして会えるとは。
「俺、クローバー出版に入るの初めてかも」
「そうだっけ? 天下の飛翔社様にはそのお手洗いにも満たない広さでびっくりしたんじゃない? コーヒー入れるね。どうぞ、そこのソファに座って」
「さすがにトイレよりは広いし」
 苦笑混じりに言って、誰もいないオフィスを進む。すでに最小限に落とされた照明で仄暗い。
「さすが児童出版社」
 然がツリーを見つけたらしい。相変わらずチカチカと一定の点滅を続け、無言でその存在を主張している。プラスチックのカップホルダーに入った紙コップのインスタントコーヒーを出しながら、
「でも、みんなからは邪魔者扱い」
「うーん、確かに」
 応接セットの周辺には資料や段ボール箱が所狭しと積み上がっていてさながら倉庫だ。
「仕事、忙しいの?」
「うん。でもまぁ、忙しいくらいでちょうどいいんだけど」
 いくら恋愛を放棄し、イベント事を達観しているとはいえ、クリスマス、お正月はさすがに寂しかったりもする。私の場合、家族がいないので本当に独りなのだ。
 お皿とナイフを用意して、然の差し向かいに座る。
 チョコレートコーティングされた小さなサイズのホールケーキには、メリークリスマスと書かれたホワイトチョコレートのプレートと、サンタクロースのピックがささっていた。
「あ、ちょっと待って。いいものある」
 亜由美愛用のアロマキャンドルを拝借し、宮下の机から借りたライターで火を灯す。そして、もともと一か所しかついていなかった電気を消した。 
「即興のわりに、いい感じだな」
「だね」
「メリークリスマス」
 コーヒーでささやかに乾杯する。ケーキにナイフを入れようとすると、然がこのままでいいよ、とフォークを手にした。そしてダイレクトにケーキに突き刺し、崩し取って一口食べる。
「……うん」
 私はかろうじてそう言って、同じように然が食べかけている反対側からフォークを入れた。泣いてしまいそうだった。
 三号の小さなホールケーキを買って、カットせずにそのまま食べる。行儀は悪いがそれが私たちの食べ方だった。どんどん食べ進めて行くとそのうちに互いのフォークがぶつかり合う。そうなると急にバトルスイッチが入り、とたんにより多く食べようと競争になるのだ。馬鹿馬鹿しくて、楽しくて、そして幸せだった。
「……田崎先生がうちで本を出すのは、知ってるよな?」
「然にお世話になるんだってね」
 互いに視線は手元のケーキだ。
「梓はそれでいい? 昔みたいな嫌な思いしない?」
「先生も同じこと言ってくれたけど、そこまで心せまくないから」
 然は一瞬ちらりと私を見て、ならいいんだけど、と再び視線を落とした。
「それにしても急な話でさ。絵本以外はやらないって頑なに言ってたのに。何かあったのかな?」
「私も不思議に思ってるんだけど、詳しく教えてくれないの」
「そうか。でもきっと売れるよ。必ずいい本になる。俺もすっかり田崎先生のとりこ。ほんとにいい男だな、あの人は」
 然は大きく溜息をついて、かがんでいた格好から背を起こす。そして、応接テーブルの端に高く積まれた絵本を手に取った。
「ああ、それね、今年のクリスマスのうちのイチオシ絵本」
「読んでもいい?」
「いいけど、暗くない? 電気つけるね」
「ううん、このままでいいよ」
 立ち上がろうとした私を制し、上着の胸ポケットから眼鏡を取り出した。然は本を読むとき眼鏡をかける。どれほどの視力なのかまでは知らないし、詳しいこともわからないが、いつも必ずそうするのだ。その姿を見るのは久しぶりだった。
 然はキャンドルとツリーの明るさを頼りにページをめくっていく。簡単な文章の絵本はすぐに読み終わる。
「へぇ、いい話だな。子供が読んだら、さぞかしわくわくするだろうな。これ、陸人のクリスマスプレゼントにさせてもらおうかな。明日、綾の家で一緒にクリスマス会なんだ」
「そう、なんだ……」
 身体の熱が冷めていく。
 勝手に、昔にもどったような、然のことなら何でもわかっている気になっていた。しかし、当然ながら、今は私の知らない部分の方がほとんどなのだ。どこに住んでいて、何時に起きて、何時に寝て、どんな友達がいて、どんな毎日を過ごしているのかも知らない。もちろん、然にとっての綾の存在についても、陸人とのことも。
「クリスマス用に包装してるのがあるからそれあげる」
「いいよ。明日、どこかで買うから」
「いいから。あげるよ! ケーキのお礼!」
 ざわつきだした気持ちを必死に隠そうと、私はそれを乱暴に押しつけた。気まずい静寂に包まれる。やがて然が顔を上げたのを目の端に捉え、それに誘われるように視線を動かせば、然が私を見ていた。
「……正直に言うと、梓に話があって来た。近くだから寄ったっていうのは嘘で」
 ソファに浅く腰掛けていた然は前傾姿勢になって、組んでいた両手に力を込めた。顔は下向けているためにその表情は窺えない。
「俺、綾と再婚しようと思う」
 あの日、イベントで三人の姿を見た時からそうかもしれないと思っていた。それでも助けてくれたり、こんなふうに二人の時間を持てることが嬉しくて、それを確かめるのが怖かった。目を逸らしていた事実をついに真正面から突きつけられ、動作はもちろん臓器の働き、血液の流れまで動きという動きが一瞬止まったように感じた。
「梓と別れた時にもう二度と結婚しないって決めた。もう二度と結婚する気にはなれないと思った。俺はたった一人の大事な人を幸せにできなかったから」
 私は何も言えずにただ首を横に振る。然が一人で責任を感じることではないはずなのに。
「離婚で傷ついた綾と俺が傷つけてしまった梓を知らずに重ねていたんだと思う。なんだか放って置けなくて、思わせぶりな態度を取っていたのかもしれない。それが綾に期待を持たせてるってわかった。特に陸人のことで」
『ある時期を境に然が距離を置くようになった』
 いつかの綾の言葉を思い出していた。それは陸人の存在を鬱陶しく思ったからだと綾は言ったが、然はそんなことを思ったりしないはずなのにと私は不思議に感じていたのだ。やはりそうだった。然は優しさからあえて心を鬼にしていたのだ。結婚をする気がないなら、不用意に近づいてはいけないと。
「でも梓と再会して、田崎先生と新しい人生を歩み始めている姿を見て思ったんだ。ずっと過去に捕らわれて頑なになっていたけれど、こんな俺でも必要とされるなら、俺でいいんなら、陸人の父親になってやりたいって。綾に男として必要とされてるかは別だけど」
「……十分、必要とされてるよ。むしろ、陸人くんより綾さんの方が然を必要としてると思う」
 私は同じバツイチ女性としてのエールを心から送る。結婚に失敗して、一人で生きていく辛さは私にもよくわかる。子供がいればなおさらだろう。然が、陸人を含めての綾を受け入れてくれると知れば、あの大きな瞳に輝くような涙を浮かべるに違いない。嫉妬も羨望もあるわけがない。私はもとより蚊帳の外の人間だった。
 そしてようやくわかったこともあった。然は、私と田崎が付き合っていると思っている。それを踏まえると然のいろんな言動が一気に腑に落ちる。過去を引きずっていたのは何も然だけではない。私だってそうだ。
 しかし、たとえ今ここで田崎とのことは誤解で、私もずっと過去にできないでいたと伝えたところでどうなるだろう。過程はともかく結果としてようやく然が新たな一歩を踏み出す気になったというのに。
 テーブルの上のケーキはすでに全部綺麗になくなっていた。
 けれど今日、お互いのフォークがぶつかることはなかった。然が途中から半分のところまでで食べるのを止めたからだ。私はその綺麗に残された半分を食べればよかった。
 然を見送った後に、一人になったオフィスで涙が出た。
「……そうよ。だって、嫌いになって、別れたわけじゃないもの」
 ようやく今になって自覚する。いつだって、本当のことに気づくのは失ってからだ。


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