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佐久間マリのオリジナル小説ブログ 18才未満の方の閲覧はご遠慮ください

   
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チョコレイト・ラブ 28
28


 然の顔を見た瞬間気が抜けて、そのままその場にへなへなと座り込んでしまう。
「もー、驚かせないでよぉー」
 肩で大きな息を吐き、安堵を露わにする私の一方で、然は目を丸くし、時間がとまったように動かない。
「仕事は? 大阪に行ってたはずじゃないの?」
「……トンボ返り。本当は夜までかかる予定だったんだけど、なんとかなった……。と言うより、なんとかした。……てか、ほんとに梓だ」
 驚いた表情で固まったでぼつぼつと言い、最後は間の抜けた調子で言った。
「……驚いたのはこっちだよ」
 やがて、金縛りがとけたように然はずかずかと私の前を横切り、手にしていた鞄やコート、マフラーを足元に乱暴に投げ置いたかと思うと自分もソファにどかっと腰を下ろす。
「病院に行ったら母さんが梓が来たとか言うからさ。幻覚が見えるほど、ひどく頭を打ったんだと思って。でもまさか本当に来てたとは……」
 最後はこれでもかと言わんばかりの特大のため息で締めくくった。
「あ、えっと、その、事故の事、直子に聞いて……」
「ああ、若槻先生……そうか。そういうルートがあったな」
 気がつかなかった、と眉間を押さえる。いつもの然ならすぐにでも察しがつきそうなことだ。それほどまでにお義母さんの事故に動揺していたということだろう。私ですら我を忘れてここまで来たのだから。それでも、せめて一本然に電話を入れるべきだった。余計な混乱を招いてしまったことを申し訳なく思う。挙句無遠慮に家にまで上がり込んでいる。
「ごめんなさい、勝手なことして……」
 決まり悪く、顔を上げられないでいた私に返事をくれることもなく、然はソファに仰向けに寝転んだ。その腕で目元を覆いそのままで、もう用意できた? と聞く。
「あ、ごめん。もう少し。す、すぐ支度するから」
 荷造りの途中だったことを思い出して慌てて腰を上げると、
「用意が出来たら起こして。病院まで送る。だから、ごめん、十分だけ寝かせて。二日、徹夜……」
 そう言っているそばから言葉は途切れ、然の胸が規則的に上下しはじめた。そういえば顔色が良くなかった。年末は特別な進行を強いられるため編集業務が忙しい。加えて取引先や作家の先生との忘年会も毎晩に及ぶ。それでなくても気力体力が消耗しきっているところに事故の連絡だ。然は地元に一人で住むお義母さんのことをいつも心配していて、外せない仕事ですぐに駆けつけられなかったその心痛を思い、私は静かに唇を噛んだ。
「スーツ、皺になっちゃうよ……」
 立場もわきまえず、断りもなしにここへ来たことを快く思われなくとも、いや、思われないからこそ少しくらいは役に立ちたい。私はきょろきょろと左右を見回して、椅子の上に畳まれたひざかけを見つける。それをそっと横たわった身体にかけると、
「病院には一人で戻るから。然はここで休んでて」
 返事を求めるわけではなく小さく呟き、さて、と行動を再開すべく、右に進行方向を取ったときだった。
 私の一歩は踏み出す前に足止めを食らう。手に暖かいものが触れたのだ。
 見れば、左手の小指と薬指が然の指に絡め取られている。
「ぜ、ん……?」
 見下ろす形の然は相変わらずもう片方の腕で顔の半分は隠れ、その表情は窺えない。
「然?」
 もう一度名前を呼ぶと、押し殺した声で、
「……ごめん。少しだけ……このまま」
 手頸を取られるとか手を握られるとかではない、指が数本絡んだだけの頼りない接触。それだけなのに、今の私には十分すぎる行為だった。
 胸が音を立てるほどに痛み、苦しさに眉をひそめずにはいられない。この懐かしい近さも、残酷なまでの遠さに等しい。
 あんな写真を飾ってあるくらいだ。綾はまだここへ来たことはないのだろう。当然、田崎がここを知るわけもなく、六年前とはお互いを取り巻く環境がすっかり変わってしまった東京ではない、ここは私と然があの頃ままでいられる場所。
 綾も、田崎も、今ここではなんの関係もない。東京から離れた非日常が、明らかに気持ちを暴走させていた。
 私は小さく踵を返し、偶然ひっかかったとも言ってしまえるほどの指の繋がりを、慎重に保ったままその場に腰をおろす。
「お義母さん、たいしたことなくてよかったね……」
 そう言いながら、ソファの、それも然の枕元のすぐ隣にゆっくりと頭を預け、目を閉じる。すぐ傍に然がいる。意識的に近づけばキスさえできるところに然の顔がある。香水などの人工的な香りの類ではない、然自身の匂いが感じられるほどの近さ。普通の男女にはありえないけれど、私たちにはかつて日常的にあった近さ。
 今はただ、その距離が愛しかった。



「梓」
 頭上から降りかかる声に、思わず『ぱち』という効果音をつけたくなるような潔さで目を開けると、次の瞬間には反射的にがばりと起き上がる。
 目の前に横たわっていたはずの然はすでにおらず、しかし、私は先ほどと同じ状態でソファの傍らに座っていた。然の身体にかけたはずのひざかけが自分の肩にかかっている。いつのまにかソファに突っ伏して眠りこけてしまったらしい。一体どのくらいの時間が経っているのだろう。起きたばかりの頭は上手く回転していない。
「そろそろ出ないと、最終に遅れる」
 声のした方に顔を上げると然が私を覗きこんでいた。
 言われた言葉を回らない頭で噛み砕き、順にその意味を正しく理解する。
「……今、何時? って、え? さ、最終?」
 信じられない思いで壁の時計を見やるも時計の針は間違いなく二十時半をさしていた。
「やだ、どうしよう! お義母さんの荷物……!」
「ああ、もう届けてきたよ」
 意味なく左右を見回し、おろおろとする私にさらりと言い放った。
「病院行って帰って来ても、まだぐっすりだからさ。かなりお疲れ?」
 疲れているのは私じゃなくて然の方に決まっている。お義母さんにも自ら願い出ておきながら、このていたらく。
「うわ、私ってば最悪……。病院……もう面会時間終わってるよね、当然」
「そんなことより今は新幹線だって。急がないと最終に間に合わない。駅まで送る」
 スーツのジャケットを脱いでいた然はそう言いながらワイシャツの上にコートを羽織る。私は長いため息とともに立ちあがって、改めて然に目を合わせた。
「ううん、いい。今夜は駅前のホテルに泊まる。お義母さんにご挨拶してから帰りたいから。どうせ明日から休みなんだし。然は? 帰るの?」
「いや、もうずっとこっちにいるよ。どうせ、正月こっちに帰ってくるつもりだったし」
 確かに電気が煌々とついた部屋は暖かく、今はすっかり生活の気配がして、再び留守になるという様子はなかった。
「仕事は大丈夫なの? お義母さんなら明日は私がついておくから」
 世間は今日で仕事納めとはいえ、そう簡単に休みに入れるほど然の仕事は甘くないし、休むにしたって何の段取りや根回しもなしにこちらへ帰ってきているはずだ。
「会社も今朝出たまんまだから帰った方がいいのは絶対なんだけどもういいよ。なんとかなるだろ。年始に死ぬ覚悟決めてこの際仕事のことは忘れる」
 コートのポケットから車の鍵を出して、ダイニングテーブルの上に置く。
「なら、メシくらい食ってって。大したモン作れないけど。それともなんか食いに行こうか?」
「ううん。家で……頂きます」
 然は、了解、と短く言って、早速冷蔵庫を開ける。おそらく疲れているので家で食べたいにちがいなかった。家で何かを作るより外食の方が簡単だと思うのだが、然は逆に簡単なものでもいいから家で作って食べるほうを好む。外に食べに出る方が疲れるのだそうだ。私が作ってあげられればそれが一番いいのだが、なにせ私ではいつになったらご飯にありつけるのか予想もつかないし、それ以前に美味しく食べられる代物ができるかどうかさえ怪しい。別れて六年もあったのに私の料理の腕は一向に成長していない。こういう時に、手早く何かを作って出せたら然も見直してくれたかもしれないのに。
「チャーハンとスープでいい?」
「う、うんっ!」
 冷蔵庫を覗く然の後ろ姿をぼうっと見つめていた私は、突然振り返られて肩を跳ねあげた。
「十分くらいでできるから、座ってて」
 そう言いながらコートを脱いで、早速袖をまくる。
「ごめんね……役に立たなくて」
 私は小さくなりながら、椅子の背もたれに投げられた然のコートに手を伸ばした。スーツの上着がかかったハンガーの上から茶色のゴム引きのコートを重ねる。
 あの頃みたいだ。然がご飯を作ってその間に私は洗濯を畳んだりする。こうしていると六年のブランクなど感じない。あの頃と何ひとつ変わっていない気がする。
 しかし、このシチュエーションを綾が知ったらどう思うだろう。それでなくても夕方、あんなふうに指を絡ませてしまったというのに。昂ぶり、暴走しかけていた気持ちは一眠りしてみれば落ち着いて、静になっていた。今は綾という存在をしっかり見据えて、罪の意識を感じずにはいられない。
 それでもさっきのことをなかったことにできなかった。何だったのか、そして何故。私にとって然がそうであるように、彼にも私は他人だけれど他人ではないだろう。心身ともに弱っていたところにそんな気の緩みがみせたほんの出来心だろうか。久しぶりに触れた指の感触や厚みを思い出して思わず胸を詰まらせていた時だった。
「もううち泊まってく?」
 軽い調子でふいに投げかけられたその言葉に、心臓が一瞬止まったかと思った。
 返事よりも先に然を見ると、ガスコンロの方、つまり私に背を向けた状態でまな板に向かって手は動いている。
 この家には部屋だっていくつかあるし、ここに泊まることだって初めてではない。今回は緊急事態だし今からホテルへ移動するのも面倒だったりするけれど。
 戸惑い、迷いつつも、私の口が、泊まってもいいの? と開きかけたのと、然の言葉が続いたのは同じタイミングだった。
「って、さすがにそれはまずいか。嫁入り前だもんな」
 然が困ったように笑って振り返る。
「ちょっと待ってて、ホテル取るから」
 そう言って、濡れ手を拭いてから携帯電話を手にした。何も言えないままその様子を目に映す。私は今どんな顔をしているのだろう。そして何を馬鹿なことを考えているのだろう。理性が本能に必死に訴えてかけている。
 だめだ。これ以上、然の近くにいてはいけない。
 ここがどんなに東京から遠く離れていたところであったとして、現実はなんら変わらない。現実のままなのだ。
「……だめ」
 聞こえないように小さく呟いた。


第一部 終

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