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佐久間マリのオリジナル小説ブログ 18才未満の方の閲覧はご遠慮ください

   
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チョコレイト・ラブ 1
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「新刊は出せないって、どういうことですか!」
 私の大きな声が狭いオフィスに轟いて、向かい合って机を寄せている同僚数名が何事かと顔を上げる。
「原稿も順調に進んでたし、先生も絶好調だって仰ってたじゃないですか! どうして、急にそんな……」
 憧れの出版社に勤めて七年。社会人の酸いも甘いもそれなりには経験してきた。我がクローバー出版が、業界でもミジンコ的な零細企業であるために涙を飲んだことは数知れず。名の知れた大手他社に仕事を横取りされたことは一度や二度の話ではない。それでもくじけず、コツコツと真面目にやってきて、ようやく夢だった文芸書の出版チャンスを掴んだと思っていたのに。
「来週には装丁の打ち合わせも入ってるんです。先生たっての希望でお願いしたデザイナーさんですよ? わざわざ先生のご本のために帰国して頂くんです! お願いですから考え直して下さい。今さらキャンセルなんかできません! だって……」
 どんな思いでお願いしたとっているの。デザイナーに仕事を受けてもらうまでの大変だった日々が頭をよぎる。それは世界的にも注目を集めている日本人画家で、もともと装丁デザインが本業ではない上に、住居がパリということもあって交渉は難航した。例によって、出版元、つまりわがクローバー出版が名の知れない三流だからというのが受け渋られる一番の理由だったことは想像に難くない。
 カバーのデザインは絶対に彼の絵でないと嫌だと言い張った作家、すなわち、今この電話の相手である若槻直子は若手実力派と言われる人気作家だ。その彼女の新刊とあっては、デザイナーにしても、けして受けて損な仕事ではなかったはずだが、それを売り出す出版社が無名では発行部数などたかが知れている。加えて大手のように十分なギャラも用意できないし、このご時世、それすら未払いのまま倒産してしまう可能性だってあるのだ。それでも先日、執念とも言える熱意を認められ、ようやくOKをもらえて、直子もいたく喜んでいたのに。
 クローバー出版は社員数名の児童出版社だ。絵本ばかりを扱っていた私にとっては、初めて手がける憧れのジャンルの出版物で、それだけにいつもの倍以上はしたであろう勉強と苦労、費やした時間、そして何より膨大な予算とそれを通すための奔走。私はこの本に編集者としての未来を賭けていた。
 とにかく理由を教えてください、そう言いかけた時だった。直子からだめ押しのホームランが放たれる。
「……え? 新刊は飛翔社さんから出すって、一体どういうことですかっ?」
 思わず立ち上がると、そのはずみで引っ張られた電話のコードがマグカップをひっかけた。あ、というが早いか、次の瞬間にはデスクの上にみるみる褐色の地図が出来上がる。慌てて書類を避難させながら、とうとう目に涙が滲み出す。鼻の奥がつんと痛い。ここへきて、まさかの白紙になるなんて。
 神谷梓二十九歳。どうやら今日はとんだ厄日らしい。

 *

 固く絞った布巾で太ももの辺りをさっきから繰り返し叩いているが、真っ白のスカートに飛散したコーヒーは簡単には取れそうもない。
「買ったばっかりだったのに。最悪」
 思えば、朝から散々だった。まさかの二度寝をしてしまい、始業時間ぎりぎりに出勤。おかげで、可燃ゴミは出し忘れるわ、定期は忘れるわ。やむなく切符を買おうと思えば、十円足りずに、一万円札をくずさねばならなかった。挙句、ストッキングには伝線。今、至急で作り直している資料にしても、今朝になって相手が急に趣旨変更を言ってきたものだ。昨夜、終電を逃してまで仕上げたというのに。
「もう諦めるしかないんじゃない?」
 哀れみを含んだ口調でそう言うのは、同僚の寺内亜由美だ。
「どっちを? スカート、それとも若槻先生の新刊?」
「どっちも。そのシミ位置的に目立ちすぎ。クリーニング出してももう無理でしょ」
 スカート一瞥し、切り捨てるように視線を外す。
「新刊にしたって、相手が飛翔社じゃ勝ち目ないわよ。若槻先生だってさ、そろそろ賞レース狙いの本を出したい頃だろうし、ましてや長編なんて、大手で出したいと思うのは至極当然。プロモーションだって飛翔サンの方が大々的にやってくれる。ウチで出すのとは注目度が違うもの」
 若槻直子が鞍替えした飛翔社というのは業界最大手の出版社だ。オールジャンルを手掛ける飛翔社に対し、児童書しか取り扱いがないうちとでは比べるまでもなく、会社の規模からいっても競合にもなどなり得ない。クローバー出版は社長と社員を合わせてたった六名。作家なら誰でも飛翔社で出したいと思うのは当然なのだが。
「……でも、直子、約束してくれたもん。うちで出すって」
 実は私と若槻直子とは、編集者と作家であると同時に友達でもある。それゆえに直子が私などに小説を書いてくれることになったのだ。そんな伝手でもなければ、直子などとうていわが社の手が届く作家ではない。
「バカねぇ、そんな反故、日常茶飯事じゃない。ましてやプライベートでも仲良くしてるなら、なおさら甘えがあるだろうし。どうせ、飛翔の担当が男前だったとかそんなところじゃないの?」
「そんなぁ……」  
「ショックなのはわかるよ? もともと梓は児童出版じゃなくて文芸希望だし、そういう意味で今回はすごいチャンスだったもの。でもやっぱり餅は餅屋。文芸書は大手さんにお任せして、私たちは、弱小、三流なりに、初版千部がやっとのマイナー絵本でも作っとけってこと。どうしても文芸を手掛けたいって言うんならさっさと転職しな」
 ぴしゃりと言われ、返す言葉を探したが、亜由美の言うことはもっともだった。
 相手が飛翔社となれば、仕事の奪還はほぼ無理だろう。何しろエリートの巣窟だ。有能な編集者が多い。日頃からつきあいでもあれば、口利きを頼めないこともないが、飛翔社には知り合いどころか関わることさえない。同じ業界とはいえ雲の上の企業。売れっ子の直子といい、天上人は天上人同士仲良くするということなのか。
「とにかく、これが片付いたら若槻先生に直談判して来るわ」 
「まだがんばるの? そこまでむきになることないじゃん。人生、諦めも肝心だよ。社長もわかってくれるって」
 私は、一刻も早く直子の元へ向かうべく、スカートの染み取りを諦めて、資料作りを再開する。
 なにも、むきになっているわけではない。私は仕事を取られたことに納得がいかないだけだ。けして、その相手が飛翔社だからというわけでは。けして。

 *

 直子とは二年ほど前に女性誌のパーティーで知り合った。偶然化粧室で一緒になり、言葉を交わしたのがきっかけだ。話をしているうちに意気投合し、年齢も近かったことから、作家と編集者の関係を超えて仲良くなった。今では親友と呼べるほどに親しくしている。
 いつものように二人で飲んでいる時に盛り上がったネタで、直子が「小説を書くから、神谷ちゃんのところで出版する」と約束してくれたのだ。やはり、酒の席での口約束というのがまずかったのだろうか。いや、今日の今日までは順調に進んでいたのだから問題はなかったはずだ。
 就職してから、不本意とはいかないまでもそれまで全く興味のなかった児童出版に細々と携わる毎日だった。昔から本が好きで、しかし文才はなく、自分で書けないならせめて出版に携わりたい。そんな尤もな理由で出版社を希望し、この就職難の中、小さいとはいえ出版社と名のつく会社に入ることができた。そして、七年目にして突然巡ってきた人気作家の文芸書を手掛けるチャンス。各所にそれは無理を通して、ここまでこぎつけたのに、突然のキャンセルという運命の仕打ち。
 ようやく一人前の編集者になれる。生きがいといえる仕事ができる。これで、仕事が恋人だと胸を張って言える。そう思っていたのに。神様には、そんな不純な動機を見抜かれてしまったのかもしれない。なんとか資料作りを終え、直子が滞在するNホテルに着いたのは二十一時を過ぎていた。エレベーターに乗り込んだところで、正面に備え付けられていた鏡を見てびっくりする。
「私ってば、なんてひどい顔してんだろ……」
 寝坊のせいでメイクはいつもに増して手抜きになってしまったのが更にいけない。顔は土気色で、冴えないどころの騒ぎじゃない。目の下にはクマができているし、左頬には吹き出物が二つ。これは不摂生が原因だろう。寝不足に加え、最近の食事はもっぱらコンビニご飯かインスタントだったから。
 エレベーターが、高層階までのスムーズな上昇を続ける間に、とりあえずファンデーションくらい塗りなおそうと、鞄の中に化粧ポーチを探した。しかし、見当たらない。どうやらそれまでも家だか会社だかに忘れてきたようだ。
「さいあく……」
 今日は、大から小までとことんツイていない。早く帰って、顔を洗って、お風呂につかって、ビールを飲んで、ゆっくり眠って、今日という日をリセットしてしまいたい。深い溜息とともに、狭いエレベーターの天井を仰ぐ。
「それにしても、どうして急に飛翔なんだろう」
 直子は、詳しい理由について言葉を濁していた。何を、どうして、どんな手を使って、飛翔社の担当編集者は直子に取り入ったのだろう。敏腕には違いないが、直子の奔放な性格を思い返してみれば、大方、亜由美の言うとおりかもしれない。
「一体、どんなイケメン編集者なのよ」
 目的の階についたことを知らせるベルが控え目に鳴り、ふわりとエレベーターが止まる。足は重いし、気も進まない。しかし、無情な扉は、音もなく左右に収まり、出口が開いた。フロアへの道が繋がり、私は今日何度目かわからない盛大なため息をついた。観念したように顔を上げて、目の前にいた人物に瞠目する。
 エレベーターホールに立っていたその人も、あ、と言いかけた口が中途半端に開いている。
 飛翔社の春田だ。モデル並みの目を惹く容姿は相変わらずだ。背はそれほど高くないものの、それを十分にカバーできるだけの顔の造作である。
 少しカジュアルな印象のスーツは紺色のコットンで、濃いブルーストライプのシャツ。ネクタイはしていない。爽やかすぎるコーディネイトに甘さを加えるのは珍しい紅茶色の髪。目立つそれは、毛染めではなく地毛本来の色で、しかし、けして軟派な印象を受けない。髪の色で軽薄と誤解されることが多いから、その他の外見は出来る限り誠実であるよう心がけているのが功を奏しているのだろう。
 私はエレベーターから降りることも忘れ、その場に立ち尽くしたまま動けずにいた。しかし、そんな状況にも関係なく、扉は一定の時間を経て、また道を閉ざしはじめる。そのまま閉まってしまえばいいと思った。何もなかった、誰も見なかったと思いたい。
 しかし、春田が咄嗟にホール側のボタンを押し、扉はまた開き始めた。再びエレベーターとフロアを繋ぐ道ができる。
「えっと、あの、降りないの?」
「あっ、お、降り、ます」
 我にかえり、動揺が隠せない口調でそう答えながら、私は急いでかごから降りた。
 すれ違いざまに、「すごい偶然だな、こんなところで。仕事?」とごくごく控え目な笑いを顔に浮かべた春田に尋ねられる。
 本当になんの偶然なのか。それともいたずらか。この広い東京の、数あるホテルの、四基もあるエレベーターの、四十階まである客室の、このフロアに、そしてどうしてこの時間に彼がここにいるのだろう。
「……仕事ですが、なにか?」
 足を止めることなく春田を通り越し、その笑顔に答えることもせずに言葉を返す。
 その時、背後で、あ、という声が聞こえた。
「もしかして、若槻先生?」
 さらりと口にされた名前に足が止まる。ある可能性が頭をよぎり、私は空気を切らんばかりの速さで振り返ると春田を睨んだ。
「まさか、先生の新刊の飛翔社の編集って……」
 答えは聞くまでもない。彼がここにいるのがその答えだろう。
 頭に血が昇る。軽いめまいを感じながら、返事を待たずして力強く歩き出した。怒りを表すために、床にヒールを打ちつけたが、上質なカーペットに吸い込まれてそれは音さえ立たず、吸収される衝撃がひどくもどかしい。悔しさのあまり、ぎゅっと下唇をかんだ時、ふいに腕を掴まれ、歩みが引き止められる。
「……何かご用ですか?」
 極めて冷たく言えば、眉をひそめた春田が顔を歪ませていた。
「もしかして、……梓の仕事だったのか」
 名前を呼ばれ、嫌悪感はピークに達する。
「気安く呼ばないでよ!」
 腕を振り払うと同時にそう言い放つと、小走りで直子の部屋を目指した。
 追いかけてくるなというオーラを全身全霊で発したせいか、背後に春田の気配は感じられない。私は足の運びをだんだん緩め、やがて、気が抜けたように立ち止まった。大きく息を吸って吐く。身体が少し震えている。
 春田を噂に聞くこと、姿を見かけることはあっても、面と向かって顔を合わせる機会はしばらくなかった。話をしたのもいつぶりだろう。
 おそらく六年ぶり。離婚届にハンコを押したあの日以来かもしれない。
 最後の最後に待っていたのは、特大の勝ち越しサヨナラホームラン。
 力なく項垂れると、シミの目立つスカートが目に入る。
 どうして、よりにもよってこんな日に、ましてやこんな形で再会するなんて。
 気がつけば力いっぱい拳を握りしめていた。その手の爪のマニキュアさえ、汚く剥げている。悔しくて、悲しくて、情けなくて。ついに涙が一粒こぼれた。
 今日はここ数年で一番のツイてない日だ。厄日ならぬ、大厄日に違いない。


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