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佐久間マリのオリジナル小説ブログ 18才未満の方の閲覧はご遠慮ください

   
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チョコレイト・ラブ 4
4


 最寄り駅から数本電車を乗り換える。向かう先は会社ではなく、ある絵本作家のところだ。午前中に打ち合わせが入っていたので直行することにした。少し遅めの出勤となるのが今の身体にありがたい。
 どんな朝だろうといつもの時間に目が覚める社会人の習性とは本当にすばらしい。携帯のアラームが鳴る五分前、覚醒した場所は玄関先で、パンプスすら脱がず、手には鞄を握りしめたままだった。部屋に押し込まれたという状態からするに、おそらくタケルが送ってくれたのだろう。昨夜は、なにやら高価で貴重だという酒を勝手に拝借し、結構な量を飲んでしまい、途中で記憶が飛んでいる。私は飲めるクチだが日本酒にはめっぽう弱い。
 痛い頭と重い身体を引きずって、とにかくシャワーを浴び、ほうほうのていで出勤の準備を整えて今に至るが、自棄酒空しく、結局昨日から好転したものは何一つない。肌荒れも、剥げたマニキュアもそのままだし、今も鏡がなくとも自らの顔がむくんでいるのがわかる。寧ろ昨日より素材としてはひどくなっているだろう。
 ただ、白紙になった直子の新刊のことも、然のことも、今は大して気にならず、それは二日酔いで深く考えられなくなっている愚鈍な頭おかげだ。実際は面倒を後回しにしているだけなのだけれど。
 ラッシュ時間を過ぎた電車はどれも座ることができ、目的の駅に着く頃には体調は少し楽になっていた。駅前のスーパーの前で立ち止まる。
「起きてるかなぁ」
 少し考えてから私は店の自動ドアをくぐり、カゴを手にした。
 担当しているその絵本作家の家は、ここから歩いて十五分ほどのところにある。
 賑やかな駅前を過ぎると住宅街にさしかかり、その一角に、古いアパートがあった。築何十年というそれは、二階の廊下の波板トタン屋根にところどころ亀裂が入っている。外付けの錆びた階段の下をくぐり、一階の端のドアの前でチャイムを押すと、安っぽいベルがけたたましく鳴る。しかし、返事がない。今度は薄っぺらな板のドアを直接どんどんと叩いた。
「田崎先生、おはようございますー。センセー?」
 それでも中からの応答は未だなく、私は深い溜息をつき、建物に沿って裏へ回る。防犯のために植わっている生垣と壁の間を無理やりに通り抜けなければならないため、何度も小枝で足首を引っかいた。ここを訪れる時、特に午前中はたいていこの訪問方法を強いられているので、汚れてもいい格好と決めているのだが、今日はそんな余裕もなかった。偶然にもパンツスタイルなのはよかったが、七部丈を選んでしまったため足首が露わになっている。
「ったく失敗だわ」
 ブツブツ言いながら、やっとの思いで道路側に面した庭へ出る。一階の部屋についている二坪ほどの庭は、手入れもされず草ぼうぼうの状態だったが、この部屋の住人は、テントを張ってそこで意味もなく寝泊まりしたり、バーベキューを楽しんだりなどしているので、それなりに重宝しているらしい。服についた枯葉を払い、勝手知ったる古びたサッシ窓を開ける。ここの鍵はいつも開いたままだ。
「田崎先生! 先生ってば!」
 部屋の真ん中に敷かれた万年床の上で、布団もかけずに転がっている男をゆさゆさと揺すれば、ようやく目覚めたようで、ごろんと仰向けになった。
「んあぁ……あずちゃーん? おはよー……」
「もー! 先生、お酒臭いです! 何時まで飲んでたんですか」
 頭痛ぇ、と薄っぺらな布団をごろごろと転がり、やがてうつぶせになって止まる。
「先生、起きて下さいよー。私も今日はできることなら寝ていたいですよー。でも、仕事なんですよ、仕事」
 半泣きで懇願すると、ようやく目覚めにかかったようだった。
「あずちゃん……、腹減った……。アレ作って……」
「わかりました! 作っておきますから、その間にシャワー浴びて、目を覚まして来て下さい! とにかく起きて!」
「へーい……」
 不真面目な返事だけで一向に起きようとしない男を引っ張り起こすと、無理やり風呂場へ押し込んだ。
「ほんとに相変わらずなんだから」
 レジ袋から買い物してきたものを出しながら、さて、と台所に立ってみれば、シンクはインスタント麺のカップや汚れものであふれかえっていた。振り返ってみれば、部屋の隅に描きかけの画用紙が散らばっている。私はここ数日で久しぶりに頬を緩めた。
「よかった、仕事の方は進んでるみたい」
 頭上のつり戸棚から下ろした鍋を、ガスコンロにかける。
 児童出版社であるクローバ出版の刊行物は、主には絵本や児童書で、もちろん私もその出版に携わることがほとんどだ。仕事の相手は無名の作家を相手にすることも多い。むしろ、作家やイラストレーターの卵と言った方がいいかもしれない。
 相変わらず私の人材探しは続いていたが、最近は文芸サークルよりも、芸術、美術系の学校に足を運んだり、小さなギャラリーで開かれている作家の個展を巡ることがほとんどだ。
 この部屋の主でもあり、今はシャワーを浴びている自由人、田崎陽介と知り合ったのも懇意にしている画廊のオーナーの紹介だった。芸大を出た後、世界中を放浪していた田崎がその先々で描いた絵を見せてもらう機会があったのだ。
「おもしろい作家ですよ」
 そう言ったオーナーの横でスケッチブックのページをめくった瞬間に、ゾクゾクと鳥肌が立ったのを覚えている。田崎の絵には、オリジナリティがなかった。いや、そもそもその全てがオリジナリティとも言えた。一綴二十五枚のスケッチブックには、まるで二十五人の画家が描いたように、全てが違う技法で描かれていたのだ。描き方も、用いる画材も、タッチも、何もかもが違う。しかし、それがその景色をより印象的に伝えているのがわかった。その場所それぞれに似合う描き方で、かつ受けた感動をダイレクトかつ自由に表現していた。
 作家、特に画家はその個性が売りである。それがその時々で変わり、定まらないことは、商業的には致命的であるらしかったが、それがむしろ素晴らしい財産であると思えた。私はその場で、田崎が次に帰国する際には是が非でも会いたいとオーナーに懇願したのだった。それをきっかけに、もう四年の付き合いになるだろうか。最初に感じた衝撃は間違いではなく、田崎の描くイラストは素晴らしい。私はすっかり惚れこんでしまい、田崎はクローバー出版からすでに五冊もの絵本を出している。田崎との出会いが、私に絵本を作る楽しみさを教えてくれた。
「……あー、うまい。身体にしみるぜ」
 風呂から上がり、首にタオルをかけた田崎が唸る。
 ゴミ捨て場から拾ってきたという卓袱台は、長身の田崎にはままごとの机のように小さかったが、そこに身体を丸めてどんぶり茶碗をはふはふとすすった。
 田崎のリクエストで私が作った卵がゆだ。といっても、レトルトパックの白飯に粉末出汁、卵、刻みネギを入れるだけの超がつくほどの手抜き料理だ。ここに打ち合わせに来る時は毎回といっていいほど、私はこれを作っているが、料理と言うのが申し訳ないほどの代物だ。何せ私の腕でもそれなりに美味しくできるものなのだから。私はとにかく料理が下手なのだ。その向かいに座り、トポトポと熱い茶を入れながら苦笑する。
「先生ってば、どんだけ貧乏舌ですか?」
 長めの髪の襟足からは、まだ水が滴だっていた。物臭な性格からか、はたまた芸術家っぽく演出しているのか、全体的に伸びて鬱陶しい印象の髪は、見ようによっては今風の若者男子の髪型に見えなくもない。一年前、アフリカから帰国した時にはびっくりするほど日に焼けて黒かった肌も、今ではちょうどよい小麦色に薄まり、精悍な顔立ちと相まって、目の前の田崎はどきりとするくらいいい男だった。
 初めて会った時は、あまりに軟派な人柄とその顔立ちがマイナスに働いて、ただの軽い男なのかと大きなショックを受けたものだったが。
「そりゃ世界中旅してりゃねぇ、大体のモンは何でもおいしく頂けますよ」
 おかわり、と田崎が碗を差し出す。
「それってけなされてるんですよねぇ、私。まぁ、自分の腕は自覚してますけど」
「あれ、おかしいなぁ、褒めてるのに。でも、あずちゃんの旦那サンになる人には料理のできる男を選ばないと困るよね。でないと梓ちゃんも旦那サンも死活問題」
 私の料理にまつわる残念な過去を思い出しているようだ。
「あ、もしかして、それが離婚原因だったとか?」
 そう言って、悪戯な目線を投げて来た。田崎は私がバツイチだということを知っている。昔、酔った勢いで喋ってしまったのだ。
「ちがいますよ。できないことを承知でお嫁にもらってもらいましたから」
 口を尖らせると、饒舌だった田崎が無言になり、見ると目を丸くしている。
「……先生? どうしたんですか?」
「いやー。元旦那さんのこと聞いてさ、あずちゃんが何か答えたのって初めてだから、ちょっとびっくり」
 そういえば、相手がどこの誰だとかいうことはもちろん、結婚していた頃のこと、離婚の理由などを尋ねられても、詳しいことは一切話をしたことはなかった。その話になると私が不機嫌になるので、今では田崎も話題に上げることは少なくなったが、昔はしつこく聞かれたものだ。
「ふーん。じゃあ元旦那サンは料理できたんだ?」
「すごく上手でしたよ」
 さらりと答えると、尋ねた自ら困惑しているようだった。
「マジでどんな心境の変化よ? 今まで閉じた貝よろしく何聞いても教えてくれなかったのに
さ。なんかあったわけ?」
「いえ、何も。ただ、昨日久しぶりに会ったんで、ちょっと思い出しただけです」
 早くも二杯目を食べ終え、ごちそうさん、と手を合わせてから、
「それって元サヤってこと?」
 熱い湯気が立ち上る湯呑に、田崎はふうふうと息を吹きかけた。
「いえ、違います」
「じゃあ、復活の予感とか?」
「いえ、ないです」
「嫌にキッパリだな。そう言いきれるんだ?」
「ええ。言いきれますよ。ないです、絶対」
「なんで? 感動の再会なのにもったいなくない? あずちゃん、ずっと彼氏いないし」
 余計なお世話ですと顔を背けてから、
「再会って言っても偶然ばったり会っただけだし、今は無関係かつお互いに無関心ですよ。大嫌いだし、ライバルですから。さぁ、そんなことより仕事、仕事!」
 空になった田崎の茶碗を盆に載せ、私は立ち上がった。



 結局、その日、会社に戻ったのは二十一時を過ぎていた。
 ほろ酔いで、夜勤の守衛さんに挨拶をしながら社屋ビルの自動ドアをくぐる。田崎との打ち合わせはだらだらと、本人曰くゆったりとしたペースで進み、終わったのは昼過ぎだった。それから共に書店に出向き、そこでまた打ち合わせをし、そのうちに日が暮れてきたので、一杯飲みに行くことになったのだ。
「ただいま戻りました」
「おー、お疲れー」
 出迎えてくれたのは、同期の宮下だった。他の社員はすでに退社している。大して忙しくもないクローバー出版では、たいていの人が定時上がりだ。
「田崎先生ンとこ?」
 うーん、とのびをする宮下は、一人何役もこなさねばならないわが社でめずらしい、編集には全くノータッチの営業専門だった。
「うん。イベントの最終チェック。ユンク堂にも行ってきたよ。あ、そうそう、関原さんが宮下君によろしくって」
 そう言って意味ありげな視線を送ると、宮下は困ったように笑って見せた。ユンク堂書店の女店長である関原に宮下は大層気に入られている。
 ユンク堂書店はビル三階分で売り場展開する都心店舗ながら、児童書を手厚く取り扱ってくれる数少ない店だ。子供が本を直接触ると汚れたり破れたりしてしまうので、入店自体を嫌う店や、絵本を透明のビニールで完全包装してしまう書店も多い中で、子供用の読書スペースまで設けられている。その場所を利用して、私は一年ほど前からいろいろなイベントを展開している。絵本の読み聞かせに始まり、工作実演、お絵かき教室などで、先月は折り紙講座だった。田崎には、二か月に一度の頻度で講師をお願いしていて、それが今週末にある。子供たちが世界を旅するというコンセプトで、世界各地を田崎の絵と文によって紙芝居風に紹介するのだ。レギュラー化しているので常連客もつき、母親たちには田崎のファンなどもつき始める有様だが、人気があるに越したことはない。
「わざわざ戻って来なくてもよかったのに」
「始末書含め若槻先生の件でやらなきゃならないこといっぱいあるからさ。会社帰らないとだめだって言ってんのに、無理やり付き合わされた」
「あの人も好きだねぇ」
「ホント。今日だってビール片手に仕事してたもん。そのうちアル中で病院に運ばれるんじゃないかしら」
 資料の入った重い鞄を投げるように机に置いて、自分もチェアに腰を下ろす。
「いや、そっちじゃなくて」
 パソコンのモニタから顔を外し、こちらを窺い見る。
「それはないよー」
 まさか、と笑ってから、
「私なんて眼中にないよ。なんてったって、田崎先生は色気ムンムンのフェロモン系が好みだもん」
「そうかなぁ。仲いいじゃん。向こうはまんざらでもないんじゃない?」
 確かに田崎とはプライベートで飲みに行くことも多いが、そういう対象ではないはずだ、お互いが。
「世界中フラフラしてるような人、私も無理だし」
「ああ、神谷はもともと安定志向強いもんな。そろそろ結婚も意識する年だろうし」
「結婚願望はないけどね」
 そう言った私を無視して、宮下は続ける。
「田崎先生、三十四だっけ? 世間体とか常識にとらわれずに夢を追い続けるってかっこいいけど、実際、生活するとなりゃ話しは別だもんな。また金が貯まったら旅に出るんだろ?」
「またそのうち行くだろうね。旅あってこその……」
 そこまで言ったところで、デスクのパソコンのモニタ横に貼り付けられている付箋に目がついた。思わず次の言葉が続かなくなる。
 尻切れた話を不思議に思った宮下が私の視線の先に気づいたのか、思い出したかのように言った。
「そうそう、電話あったよ、ついさっき。その前にも何回か電話あったみたい。またかけてくれるらしいけど、できたら電話欲しいってさ。それ……飛翔社の春田って、あの春田?」
 付箋に書かれた名前を宮下の口から改めて聞き、現実に引き戻された。
「えっ、ああ、うん……そう、かな」
「神谷ってば、今をときめく赤髪王子と知り合いなんだ? いつの間に?」
「赤髪王子って、何それ、変なの……」
 動揺からか、意味もなくそう笑ってから、昔、仕事でね、と言葉少なに付け加えた。しかし、何の用件だろう。わざわざ社名を出して会社に電話をかけてくるくらいなので、プライベートな用事ではないだろうけれど。
 と思ったところで、然が今の私の携帯番号を知らないことを思い出した。 
 おそらく、十中八九、昨日の今日なので直子の件で詫びの電話だろう。
 貼り付けられた付箋を剥がす。記載された携帯の番号は、あの頃と変わらない番号だ。
 折り返す必要などない。謝ってもらいたくもないし、その必要もない。
 私がその付箋を破ってゴミ箱に捨てたのを、宮下が不思議そうに見ていた。



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