忍者ブログ

佐久間マリのオリジナル小説ブログ 18才未満の方の閲覧はご遠慮ください

   
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

チョコレイト・ラブ 8

8



「遅い、遅い! 待った! 俺は待ったぜよー!」
 威勢のいい店員の歓迎の次に私を迎えてくれたのは、カウンターに座る田崎だった。手元の大ジョッキはすでに半分ほど空いており、裸電球に照らされた顔は赤い。すっかり出来上がっているようだ。
 そう広くもない焼鳥屋の客席はほとんど埋まり、店内には白い煙がもくもくと立ちこめている。その香ばしい匂いに減退していたはずの食欲がいとも簡単に復活するあたり、私もなかなかに図太い神経の持ち主のようだ。
 本当は、直子の家でもう少しゆっくりするつもりでいた。
 しかし、予想外の展開にすぐにマンションを出たため、田崎との待ち合わせまでには十分余裕があったはずだ。それなのに遅刻をしてしまったらしい。言われて初めて時計を確認すると、約束の時間を十五分ほど過ぎていた。
 電車を乗り過ごしてしまったせいだろう。加えて、あてもなく街を彷徨うかのような足取りも原因の一つで、自分で思っているより心も頭も動揺をしているようだ。
「先生こそ、一体、いつから飲んでるんですか」
 いつもと変わらない田崎の様子に、私はほっとする。小さく笑って、隣に腰を下ろした。
 カウンターの中の大将に「生一つ下さい」と頼んだ横から、今度はいたって真面目な声色で問われた。
「どうしたんだ?」
 私は一瞬の間の後、え? と首を傾げる。何の事を言われているのかわからなかったが、
「すごい顔してるよ、あなた」
 そう指摘され、私は思わず目を逸らす。
 もともと隠し事や嘘が得意ではない。すぐ顔に出てしまう。
 直子も不審に思っただろう。あれでは、いかにも何かありますといわんばかりの去り方だ。マンションを飛びだした時、私は明らかに冷静さを失っていた。
「……何もありませんけど」
 食んだ焼き鳥から串を引き抜きながら、田崎が言う。
「何もありません、ねぇ。そのわりには、そーいう顔のあずちゃん、はじめて」
「そういう、って、どんな顔ですか」
 そんな自分を自覚しているだけに、取り繕ってはいるものの今もけして大丈夫な顔をしていないことはわかっていた。しかし、隠せないにしろせめて空元気を装う努力くらいはせねばならないと思いつつ、一方でそう思うことすらだんだん面倒になっている。
 もはや、笑顔も忘れて、ふてぶてしく出されたお通しを箸でつつく。それに視線を合わせたまま、自分の不器用な性格を恨んでいると、
「男、だろ」
 その言葉に、手は止まり、思わず顔を上げると田崎と目があった。
「え、なんで」
 田崎が、くはっと大きく笑う。堪えきれずに笑いがもれたといったふうだ。
「なんだ、当たりか」
「は? 当たり、って」
「カマかけたってこと。エスパーじゃないんだから、あずちゃんが何で落ち込んでるのかなんてわかんねーよ。しかし、男とはねぇ。男のことで悩むあずちゃんなんて初めてだな。いいことじゃん? 今までみたいに枯れてるよりはさ。まだ若いんだし、かわいいんだし。恋せよ乙女、悩めよ乙女! 女は恋してナンボだからな」
「枯れててすみませんでしたね。放っておいて下さい」
「あーあ、さっきは珍しく素直でかわいかったのに」
「私はいつも素直ですけど?」
「意地っ張りの負けず嫌いだろうが」
 いつも怒ってるしさー、と、田崎が頬を膨らませる。
「怒られるようなことばっかり先生がするからでしょ! いつも能天気な先生に言われたくないです」
 まぁ、そうイライラすんなって、となだめられれば、
「イライラなんかしてません! イライラ、なんか……してません……」
 いつもと変わらないやりとりなのに、今日に限っては田崎が妙に意地悪に思えて、私は思わず涙ぐんでしまった。
 それに気づいたのか、私の頭をポンポンと軽く叩く。
 まるでよしよしと撫でられているようで、思わず泣いてしまいそうになったとき、
「あれ、元旦那だろ。昨日の」
「な……」
 私は、涙が零れそうなことも忘れて目を見開いた。
 田崎と然は、昨日ユンク堂で初めて会ったのだし、その時も挨拶程度の会話しかしていない。
 何でわかったんですか、と言葉を繋ぐ前に田崎が一人で納得し始めた。
「やっぱ、そうかぁ。まぁ、なんとなくね。なんか様子おかしかったしね。必要以上に敵対っていうか、無関心っていうか。ほんと、あずちゃんは素直じゃないよね」
 そして、いい男じゃん、イケメンだし、エリートだし、何で別れちゃったのさ、逃がした魚は大きいだろ、と好き放題言っている。
「で? 様子がおかしいのは彼が原因? あれか、ヨリ戻そうとか言われた?」
 声に意地悪な笑いをふくませて、私を見遣る。
「そんなこと、言われてません」
「じゃあ、どうしたの?」
「……別に」
「ん? そう言わずにボクに話してみなさいよ」
「……何かされたわけじゃないんです。ただ、この六年間、全く関わることもなかったのに、なぜか突然、急に私の日常に入り込んできて動揺してるというか……。挙げ句、彼の恋愛事情を知ってしまって……」
「ふーん、それがショックだったと。でもさ、別れて六年だっけ? あんだけのいい男なら、彼女の一人や二人いない方が変でしょ」
「もちろん色々あっただろうし、それは別に構わないんです。ただ、目の前で、……彼の恋路を目の当たりにするのは、思いのほか気持ちのいいものではなくて」
「まぁ、わからんでもないなぁ」
 田崎は、食べ終えた串で遊びながら呟いた。そして、
「……何で別れたのかとか、そういうのは当の二人しかわかんないことだから俺からは聞く気ないけど、あずちゃんが聞いてほしいなら聞くよ」
 と薄く笑う。
 聞いてほしいわけではないが、このもやもやした気持ちに整理をつけるためにも、少し吐きだした方がいいかもしれない。
「……離婚の理由は、よくあるすれ違いってやつです」
「すれ違い、ねぇ。いくつで結婚したんだっけ?」
「二十二です」
「はやっ! もしかして、デキ婚?」
「違いますよ」
 ジョッキに残っていたビールを一気に飲み干し、お代わり下さい、とカウンターの中に声をかける。
 話せる人がいないというのが一番だが、然とのことを人に言うのは初めてかもしれなかった。心の中で思い出すだけでもまだ苦い思い出なのに、それを実際口に出すとなると、自分で考えているより冷静さが求められる。さすがに、途中で泣きだしたりすることはもうないだろうが。
 私は覚悟を決めた。いつも一人で抱え込むから私は暴走してしまうのだ。
「私と彼は、就活で知り合って……」
 少しずつ、私は然との出会いからを田崎に説明し始めた。 
 就職してからはとにかく忙しく、すれ違いの毎日だった。一緒に住んではいるものの顔を合わせることはなく、電話すら行き違う。必要最低限の連絡をメールで済ますという日々。特に然は、接待だ、飲み会だと毎晩遅く、帰って来ないことも珍しくない。一方、私も仕事はもちろん、新しい環境と生活に馴染むことに精一杯で、だからこそ、然との時間が欲しかった。それが、私にとって唯一の癒される幸せな時間だったからだ。
「私は両親を中学の時に亡くしています」
「言ってたね。事故だったんだっけ」
「それまで一人で頑張れていたことが、彼と一緒に暮らしてしまったことで恋人に期待する以上の、いわば家族に対するような甘えが出てきてしまったんですね。どんどん贅沢な愛情を貪欲に求めるようになって、でも、確かめようにも家にはいつも一人で。だから、たまに顔を合わせても私は彼を責めてばかりでした。ほんと、子供ですよね」
 それでも然は私を受け止めてくれた。
 私が思う以上に多忙だったはずなのに、極力一緒にいる時間を作ってくれたし、我儘や身勝手な要求にも根気よくつきあってくれた。それでもまだ、私はいつも不安定だった。
「そんな私の不安を、彼は結婚という形で解決させようとしてくれたんです。紙切れ一枚とはいえ、愛情を形にすることで私が安心を得られるのならって」
 私の気持ちに余裕が持てるのではないかと考えたのだ。
 逆に、それが枷になるとは思いもせず。
 然の言ったとおり、私はたとえすれ違いの生活でも結婚していれば大丈夫だと思えた。けれど、実際に結婚してみれば、今度は妻という肩書きが重荷になったのだからもう笑うしかない。
 今までは苦手だからと敬遠していた家事も、妻になったからには完璧にこなさねばならないと、頼まれもしないのに勝手に思い込んで、例えば朝から和定食のような御膳を用意したり、傍目に見ても痛々しい頑張りを見せていた。しかし、如何せん、元々が不得意なのだから何をやっても失敗ばかり。魚を焼けば生焼けなんてことは日常茶飯事だ。
 くわえて、仕事との両立。すべてが、かなりのストレスとなって私の気持ちを常にぎすぎすさせていた。
 そんな時だった。
「作家横取り事件?」
 かいつまんでそのトラブルの内容を話すと、
「結局、その作家さんが悪いんですけれど、その頃の私は被害妄想の塊みたいなものでしたから、彼に出し抜かれた、裏切れたって……」
 時間だけでなく、気持ちまでもがすれ違うようになっていたその時には、どんなことをしても修復できないまでに二人の間は壊れてしまっていて、もう別れるしかなかった。
「……てゆーかさ」
 黙って話を聞いていた田崎が、顔を上げる。
「話聞いてる限り、春田さんにダメなところが見当たらないんだけど」
「ですね。私も話しをしていて自分でも思います。私が恥ずかしいまでに子供だったって」
「つまりは、嫌いになって別れたわけじゃないってやつか」
「うーん。それはどうかな。大っ嫌いって思ってましたけど」
「それは、好きすぎて、だろ?」
 その言葉に、私は何も言えない。
「で、再会してみて、あずちゃんはどうなのさ。好きなの? 今も、彼を」
 私は首を振る。それはない。すっかり過去になっている。ちゃんと過去に出来ている。別れて六年、未練を残して生きてきたわけじゃない。それはきっとお互いに。
「春田さんとはこれからも仕事で関わって行くわけ?」
「いえ、今がイレギュラーなだけで……。もうないと思います」
「ま、誰だってさ、昔を思い出すと良くも悪くも甘酸っぱい気持ちになるもんだ。でも、それは恋じゃない」
 含みを持たせ、そこで言葉を切る。田崎を見ると逆に鋭い視線で射ぬかれた。
「ただの執着だ」
 とにかく飲め、と、いつの間に頼んだのか、私の前に置かれた新しいグラスに日本酒を傾ける。
「すぐに日常は戻る。再会する前の、ちゃんと一人で生きていた自分を思い出せ」
 そうだった。日常はいつだって変わらずそこにあるのだ。
 別れた時だって、どんなに泣いたところで何一つ変わらない日常があった。
 然と再会したからといって、私の日常が変わる必要などどこにもない。もう私には私の人生があるのだから。
 私は、田崎の言葉に従って無色透明の液体を一気にあおる。
 焼けるような熱さが喉を通って、身体に染み込んでいった。

 


BACK TOP NEXT
PR
   
Comments
NAME
TITLE
MAIL (非公開)
URL
EMOJI
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
COMMENT
PASS (コメント編集に必須です)
SECRET
管理人のみ閲覧できます
 
Copyright ©  -- Puzzle --  All Rights Reserved

Design by CriCri / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]