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佐久間マリのオリジナル小説ブログ 18才未満の方の閲覧はご遠慮ください

   
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チョコレイト・ラブ 11

11

 お風呂から上がり、まず冷蔵庫を開ける。
 ざっくりとタオルで包んだ髪から滴が垂れているが、たいして気にならない。身体にバスタオル一枚を巻きつけただけの格好で肌の手入れよりもまず手に取るものがビールとは。
「田崎先生の事、言えないなぁ」
 プルトップを引きながら一人で苦笑し、ごくりごくりと喉を鳴らす。
「でも、やっぱ最高!」
 ビール片手に、廊下にあるキッチンから小さなワンルームへと場所を移す。
 離婚のときに、どこでもいいからとにかくすぐに入居できるところをと探したのが今の住まいだ。仮だったはずが、結局、六年間そのまま引っ越さずに住んでいる。築十数年、セキュリティにしても、内装にしても、最新でもなければ洒落てもいないし、お世辞にも広いとは言えない。それでも収納を工夫したり、ちまちまとインテリアに凝ったりして、それなりに気に入っている。しかし、いずれは単身者用の分譲マンションを買ってそこに落ち着きたい。もっともそれも、もう少し一人前に仕事ができるようになってからだ。
 部屋の隅に置いてあるドレッサーの前に座ると、コットンに化粧水をしみ込ませた。パッティングをしながら、ふと鏡の中の自分と目が合う。
 然に啖呵を切った時、私はどんな顔をしていただろう。
 同時に、然がどんな顔をしていたかもわからない。それを思うとなぜかため息が出る。直子のマンションを出てから、ずっとそのことばかり考えていた。
 然が『私に断りもなく』と言っていたのは、直子に自分たちの関係を話してしまったことについてだったのだろう。
 落ち着いて、最後まで然の話を聞けばよかったのに、先走って、勘違いをして、挙句ヒステリーを起こすなど恥ずかしいと言ったらない。何年たっても成長がない、相変わらずだと然も呆れていたに違いない。
 再会してからというもの、私はいいところなしだ。
「あー、ダメだダメだ」
 どんどんと滅入っていく思考にストップをかけるべく、立ち上がる。
 再び冷蔵庫を開けて6Pチーズを取り出した。ブラックペッパーを振りかけ、オーブントースターに入れる。
 わざわざ、6Pチーズがあるから、と私に言ってくれた。
 ワインにしても、私が、赤より、白より、ロゼが好きなことを覚えていてくれたのだろうか。
「んー、いい匂い」
 チーズの焦げた芳ばしい香りが漂ってきた。本当ならワインが飲みたいところだが、明日も仕事だし、今からフルボトルを一人で開けるのはしんどい。
 こういう時、誰か相手がいればいいなと思う。離婚してから、再婚の願望はもちろん、恋人が欲しいと思うこともなかったが、甘い夢を全く見ないわけではない。
 バーや居酒屋もいいけれど、家で、たとえば、映画など見ながらゆっくりお酒を飲むのも好きだ。他愛もない話をしながら、ゆっくりとした静かな夜を過ごす。
 然とは結婚している間にそんな時間を持ったことはなかった。家で二人で食事をしたことでさえ数えるほどだ。
「そういえば、然もワイン好きだったな」
 私は二本目のビールを手に、テレビの前の小さなローテーブルとベッドの間に腰を下ろした。録画してあった映画を見るべくリモコンを操作する。再生を待つまでの間、ぼんやり画面を見つめながら、再び然を思った。
 きちんと謝ろう。
 いつどんな時も、然は誠意を持って紳士的に接してくれていた。私がそれを、一方的かつ頑なに拒んでいただけだ。
 熱いチーズを口に運びながら壁にかかる時計を見れば、時刻は二十二時を少し過ぎたところだった。
 テーブルの上に置かれていた携帯電話をちらりと見る。
 遅くはないが、プライベートな用事で電話をかけるにはどこか躊躇われた。今、然は何をしているのだろう。まだタケルのところにいるのだろうか。それとも、あのまま帰ってしまったのだろうか。
 直子の言っていた、心に決めた人とは誰なのだろうか。
 その答えを想像して、居ても立ってもいられなくなった私は、枕を抱えてベッドに倒れ込む。
「まさか、ね……」
 目を閉じると瞼の裏に然が浮かぶ。と同時にみるみる眠気にも襲われた。
 確かに、こんな落ち着いた夜は久しぶりかもしれない。
 始まったばかりの映画をよそに、私は誘われるがまま夢の世界へと旅立つ。

 *

「今日、どうしたの。なんかいいことあった?」
 出勤するや、私を見て亜由美が言う。
「肌ツヤもいいし、服も気合い入ってない? あー、もしかしてー、でぇとぉ?」
 にやにやと頬を緩ませ、肘で私を突いてくる。違うから、と軽くあしらうも、やや図星なところもあって決まりが悪い。
 顔色、顔艶までは自分ではわからないが、メイクに気合いが入っているのも確かだし、今着ている服にしたって一番のお気に入りのワンピースだ。
 私はパソコンに向かい、心を落ち着かせた。メーラーを立ち上げる。
 然の名刺には会社のメールアドレスしか書かれていないが、仮にプライベートのものを知っていたところで、いきなり掌を返したようにそれに送るのもどうかと思うので、今の私には公の連絡ツールで十分だ。
 メールを送ればきっと電話をかけてきてくれる。そんな算段があった。
 謝って、お礼を言って、そのうちにすっかり普通になって、もしかしたら仕事の後に飲みに行くという流れになるかもしれない。
 今までの妙によそよそしい形式的な文面ではなく、少し柔らかめの、しかし、砕け過ぎない、加えて長くならないように注意して文章を作る。
 結局、仕事もそこそこに午前中をすっかり文章作成に費やしてしまい、メールが送信済トレイに移ったのは昼を過ぎてからだった。
 直子の仕事で再会してから、常に私の態度が大人気なかったこと、今回の直子のとの仲を誤解していたこと、昨夜、然が気にかけていた件はなんともないこと、むしろ離婚事実を私が直子に話してしまったことも併せて伝えた。
 最後に書いた『これからもよろしくお願いします』は、けして社交辞令ではく、本心からのものだ。
 そろそろ、今までのような絶縁状態から抜けだしてもいいかもしれない。ふんわりと弾む心でそんなことを思いながら。
 デスクの電話が鳴ったのは、すでに夕方だった。
「お電話変わりました、神谷です」
 自然に緩んでくる頬を戻すのに必死で、妙に険しい声になってしまった。
 飛翔社の春田です、と伝わってくる電話口に、何とも表現しがたい感情の波が押し寄せる。然の声を、心の準備ができた状態で聞くのは久しぶりだ。最近は常に不意打ちだった。
『今、お時間よろしいでしょうか』
 はい、大丈夫です、と答えてからすぐに、
『早速ですが、今度、弊社で新創刊する雑誌がありまして』
「は……い?」
 私は首をかしげた。予想していた電話の内容と違う。
 全く要領を得ない私をよそに、
『その雑誌のあるコーナーで、是非神谷さんのお力を貸して頂きたく、ご連絡させて頂きました。突然のお電話で申し訳ありません』
 そして、然は流れるようにすらすらと用件を話しだした。
 新しく創刊されるのは、三十代ワーキングマザー向けのファッション誌で、子育てや文化面に力を入れた、知的な女性のための情報誌というのがコンセプトらしい。
 その中の親と子のための本を紹介する連載企画で、依頼していた絵本コーディネーターとギャラで折り合いがつかなくなり、直前になって仕事をキャンセルされたのだという。
『創刊号なので、その連載が特集企画としてページ数を多めにとってあるのでどうしても穴が開けられません。広告を入れようにも紙面割もすで終わっていて』
 しかも、絵本と母親向けの本はリンクするように企画が組まれているので、絵本が決まらないことには、母親用のものも選べないので困っている。堅苦しい然の説明は、その絵本のプレゼンを私にしてほしいという依頼でようやく締めくくられた。
「御社にも児童出版部はあるはずですが……?」
『取り上げる絵本について一番重要なのが隠れた名作であることで、誰もが知っているような絵本では意味がないんです。うちの児童出版の取り扱いは往年のベストセラーばかりで、お恥ずかしい話ですが僕ですら知っているような絵本しか編集部員が提案できなくて』
 つまりは、私ならマイナーな本もたくさん知っているだろうということなのだろう。褒められているのか、けなされているのかよくわからない。その辺、然もわかっているのか、大変失礼でご迷惑な話だと思いますが、と前置いた上で、『神谷さんのお力を是非お借りしたいんです』と言った。
 あのメールからどうしてこうなったのかわからないが、どうやら今のメインは仕事の話のようだ。
『無理にとはいいません。ただ正直なところ、かなり困っておりまして……。あ、担当は僕ではなく、新雑誌の編集部ですので、今後はそちらとのやりとりになりますのでご安心ください』 
 付け加えられた言葉は自分が毛嫌いされていると考えての配慮らしい。そんなことはないとメールで伝えたはずだが、伝わっていないのか、それともメールを読んでいないのだろうか。
 しかし、あの険悪な状態のままでも私に頼んできたということは本当に困っているのかもしれない。
 そんな大きな仕事が自分にできるのか自信はないが、日ごろ、陽の目を見ることの少ない絵本業界にはこれ以上ないチャンスだ。
「わかりました。是非、やらせて下さい」
『……え、でも……その、締め切りも迫っていてかなりタイトなスケジュールとなりますし、大々的に御社や神谷さんのお名前を企画に掲載できるかどうかわかりません。企画が通っている以上、今になってクローバー出版さんとのタイアップ企画とするのは難しいというのが正直なところで……具体的な条件はこれから編集長と相談してみないことには……』
 然が戸惑っている。
 私がすんなり引き受けたことが意外だったようで、急に逃げ腰になるから思わず苦笑が漏れてしまった。OKしてもらえるとは思っていなかったのだろう。確かに、昨日の私の剣幕から考えれば当然で、そんな自分を顧みるとなんともきまりが悪い。
「弊社の宣伝のために協力させて頂くわけではありませんし、困った時はお互い様ですので、私で間に合うのならば」
『あ、ありがとうございます。……正直、助かりました』
 電話口から安堵の溜息が聞こえる。
『では明日、弊社の担当の白石と言う者から神谷さんあてにご連絡を差し上げますので』
 担当編集者の名前と連絡先を控え、復唱し終えたところで、
『あの……、メールありがとうございました』
 然の声のトーンが急に低くなった。今度は私が驚く番だった。すっかり仕事モードになっていた。
「い、いえ。私の方こそ、いろいろご迷惑をおかけしてお恥ずかしい限りです」
 どきまぎしながらそう答えて、向こうからの次の言葉を待つ。
 私たち、そろそろ普通の友達に戻ってもよくない?
 心の中で祈るようにつぶやいて、今着ているお気に入りのワンピースに目をやった次の瞬間を待った。
『この度は本当にありがとうございました。新雑誌の方、よろしくお願い致します。では、失礼します』
 終始ビジネスライクでさわやかにそう言うと、早々に電話を切り上げてしまう。
 私はそれに倣って受話器を置くしかない。
「……って、それだけ?」
 必死の思いで送ったメールには、たった一言お礼を言われただけだ。
 食らわされた肩すかしは、思っていたより大きかったようで、私はそのままの格好でしばらく呆然としていた。


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