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佐久間マリのオリジナル小説ブログ 18才未満の方の閲覧はご遠慮ください

   
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チョコレイト・ラブ 20
20


 シャワーを浴びていないのに、と頭のどこにあるのか今なお冷静なままの思考がそう言っている。それは癖みたいなもので、いつでも私はシャワーなしでの行為に抵抗があった。だから前には必ずバスルームに向かったし、みんなそうなのだと思っていた。違うと知ったのはひょんなことから直子のそういう話を聞いたときだったか。
 自慢ではないが、私は男性経験があまりない。あまりというよりほとんどないに等しく、一人の男性しか知らない。唯一のその人は、どんなに早急に一つになりたくても必ずシャワーの時間を設けてくれたことを思い出していた。
 ブラウスに手がかかり易々とボタンが外されていく。襟が高く首が詰まっていることなど、何の抵抗にもならないようだった。
「物わかりがよくて嬉しいよ。まぁ、どうせ君もそのつもで来たんだろう」
 黙ったまま何も答えない。否、答えられない。泣きそうになるのを堪えるために、目はきつく閉じ、口も一文字に引き結んで、ただ耐える。胸のあたりをまさぐられる手も、大河内の上がった息使いにも身体はこわばったままだ。身を委ねる気には到底なれない。この先に繰り広げられる行為はどんな苦行となるだろう。
 今すぐ気を失いたかった。目が冷めたら全部終わっていたなんてことはないだろうか。
 かつてこうした行為や裸で抱き合うことは嫌いではなかった。むしろ幸せを感じられる瞬間だと好ましく思っていたはずだ。なのに、今はただただ嫌悪しかない。
 物質的には身体の繋がりでしかないが、実際には精神的な繋がりを意味する部分が大きいのだなと改めて思う。
 やがて、大河内の手がスカートにかかり腿をなでまわす。全身が粟立った。
 もう逃げられない。嫌だ、やめてと泣き喚いて、大河内を突き飛ばしてしまいたい。そんな衝動を理性を総動員して抑えると、もうそこはあきらめの境地だった。合図のように、まなじりから涙が一粒こめかみを滑り落ちる。
 誇れるようなものを何一つ持たず、すべてが中途半端な私とはもうおさらばしたいのだ。ここで耐えれば新しい人生が開ける。自信が持てる。一人で生きていくための確かなものがきっと手に入る。
 さっきまでぐるぐると忙しく回っていた脳内が嘘のように、今はおたがやか海原のように落ち着いている。だんだんと身体から力が抜けていく。
 何年かぶりの男の腕の中がこんなふうにだなんて。
 最初に抱かれたのも最後に抱かれたのも、ただ一人。
 閉じたままの瞼の裏にその顔が思い浮かび、私はなぜか、ごめんね、と心の中で呟いた。
 と次の瞬間、けたたましく部屋のチャイムが鳴る。大河内の手が止まった。
「先生! 大河内先生っ!」
 精一杯潜めてはいるものの必死の声が室内にまで届く。見知らぬ男の声だ。
「ったく、なんだこんな時に」
 私に覆いかぶさっていた身体が離れる。大河内が衣服を正しながらドアまで歩いて行くその間にも名を呼ぶ声とチャイムの連打だ。私も慌てて上半身を起こし、思わず自らを守るように肩を抱いた。声の主は誰なのだろう。しかし中断されたことを喜んでいいものかわからない。どうせならあのまま、一思いにやってくれた方がよかった。この白けた間に頭は急激に冷静になり、決意をどんどん鈍らせる。
「なんだ、こんなところまで。わかっているだろ」
 背中越しに、ドア口の会話が聞こえてくる。
「いえ、先生! 緊急事態です! 奥様が、奥様がもうすぐお見えに!」
「何だと? 今どこだ!」
 訪れたのは大河内の秘書だろうか。本人達はひそひそと話しているつもりなのかもしれないがその内容は静かな部屋につつぬけだ。
「すでにこちらに向かうタクシーの中で、もうすぐお着きになるそうです。奥様は先生の不貞をお疑いです。一刻も早く部屋にお戻り下さい」
「ああ、わかった。神谷くん!」
 急に会話の矛先が自分に向いて、はいっ、と背筋を伸ばして振り返った。
「急用ができた。すまないが改めて連絡する。今日はここに泊まっていってくれて構わんから」
 言うが早いか大河内は廊下に姿を消す。その秘書らしき男だけがドア口に残されたその一瞬に私に会釈を残す。そしてまたすぐ大河内の後を追いかけて行った。
 重いドアがゆっくりと時間をかけて、やがて閉まる。
 私はあっけに取られたまま、暫くの間その閉まったドアを見つめていた。無駄に広い部屋を煌々と照らす明るいライトが今となっては白々しい。
「助かった、の?」
 やっとのことで言葉を発することができた。身体の力が一気に抜ける。
 まるでドラマのような展開だ。よくわからないが、絶妙なタイミングで来襲をしてくれた夫人に心底感謝する。元女優の大河内夫人は芸能界でも恐妻として知られている。
 しかし、偶然のことなのだろうか。秘書の男性がくれた微笑が頭の隅にひっかかった。
 とりあえず一つ大きく溜息をついてから、落ち着いて部屋を見渡してみた。大河内の仕事道具は一切置かれていない。ただの真新しい客室で、どうやらここは逢引のための部屋らしい。さっきの会話からしても普段は違う部屋を仕事に使っているのだろう。
「ともかくここを出ないと……」
 時計を確認したが終電にはまだ間に合う。このまま大勢の人の目に触れて帰るのはおっくうだが、だからと言ってここに一人で泊まる気には到底なれない。
 確かにこんな機会でもなければ通されることもないであろう素晴らしい部屋だし、向こうの部屋に見える特大のふかふかのベッドで眠ってみたいものだと思うが、さすがにそこまで図太い神経は持ち合わせてはいなかった。
 首筋には、酒臭い息としつこい唇の感触がまだ残っている。振り払うように私は首を振ると、ソファの足元に倒れていた鞄を手にした。
「あ……」
 マナーモードにした携帯電話が内ポケットの中で低く唸っている。慌てて開くと田崎の名前が表示されていた。
『あー、あずちゃんー? ごめんごめん、電話出られなくて』
 夕刻かけた折り返しの電話らしい。またどこかで飲んでいるのか、後ろはひどくざわついている。
『さっきから何回かかけ直したんだけど、全然繋がんないからさー。打ち合わせかなんかだった? もしもーし? あずちゃん?』
 私は携帯電話を耳に当てたまま、何も話すことができなくなった。
 まさに張りつめていた緊張が一気に弾けた感じだった。足も、手も、今になって可笑しいほどにがくがくと震え出し、悲しくもないのに涙がぽろぽろと零れる。
『おーい、あずちゃん? え? もしかして泣いてんの?』
 必死に堪えたが嗚咽は簡単に漏れてしまい、田崎が私の異変に気付く。
『どうした! 何かあったのか? 今、どこにいる?』
「た、さき……せんせ……」
 私の身を案じる言葉に思わずその名を呼ぶと、増して緊迫した声色になった。
『おい、今どこ? 一人なのか? どこなんだ?』
「Tホテル……です」
『今すぐ行く。そうだな、四十、いや三十分で行くからそれまで待てる? 大丈夫か? 誰かいる? 大声を出せ。一人が怖いなら人の多い場所に行くんだぞ。着いたら電話するから。大丈夫だからな!』
 そう言っている間にも店を出て、早くもタクシーに乗り込んだらしい。背後のざわめきがなくなり、Tホテルまで、と行き先を告げるくぐもった声が向こうに聞こえた。すみません、とだけ言って、私は電話を切った。
 しかし、田崎にはどう説明したものか。とりあえず到着までに落ち着かなくてはいけない。泣き崩れた顔もひどいことになっているだろう。鏡を見ようと立ち上がろうとして驚いた。腰が抜けたのか足に力が入らない。
 その時、また部屋のチャイムが鳴って、私は絵に描いたようにびくりと肩を跳ね上げた。それは慌てた調子で、先ほどと同じようにけたたましく鳴り続け、さらに今度は乱暴なノックも加わって、私はいいしれない恐怖を感じる。
 大河内が戻って来たのだろうか。それともさきほどの秘書だろうか。夫人が怒鳴りこんでくるということも考えられる。いまだその場にへたり込んだままで、身体が小刻みに震えだす。
「ど、どうしよう……」
 と次の瞬間、チャイムもノックも突然に止んで、静かになった。
 が、安堵したのは一瞬で、カードキーに反応して解錠する音が聞こえる。鍵を持っていると言うことはおそらく大河内だ。
 私は無我夢中でドアへ駆け寄り、チェーンをかけようとしたが遅かった。ノブが下がり、ドアが開く。もはやどうすることもできず、まるで爆発する瞬間を迎えるように、目を固く閉じ、両手で耳をふさいだ。
「梓!」
 押されたドアが送りこんできた風を感じたのと同時に、私は懐かしい匂いに包まれていた。


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