忍者ブログ

佐久間マリのオリジナル小説ブログ 18才未満の方の閲覧はご遠慮ください

   
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

チョコレイト・ラブ 23
23



 にわかには信じられなかった。
 しかし今回ばかりはいつもの冗談と受け流すことはできない。電話越しの声でさえ、私にそれをわからしめる十分な熱さを持っていたからだ。
 田崎とは四年前、画廊オーナーの紹介で知り合った。
 昨年帰国したきりずっと日本にいたこともあって、ここ一年は特に親しくしてきたが、一体いつからそんな気持ちを抱いてくれていたのだろう。
 気がつけば、私はいつの間にか然と待ち合わせた店の前に着いていた。
『ラ・カシェット』は表通りから一本入った雑居ビルの地下にある知る人ぞ知る店だ。全く気取らない雰囲気のフランス料理で、ワインも豊富だが何より食事がおいしいので昔よく通っていた。それでなくとも小さな看板が、路上に乱雑に停められた自転車の陰に隠れて全く目立っていない。
 心臓が鼓動が早くなっているのがわかる。それはわくわくなのかどきどきなのか、それともさっきのことでそわそわと落ち着かないだけなのか。私は大きく深呼吸をした。最後にもう一つ短く息を吐いて頭を切り替えると、一見怪しげな地下への階段を下りる。ヒールの音が響く。
 見た目よりは軽い木のドアを思い切って押せば、懐かしいオレンジ色のフランス壁に迎えられた。店はテーブルセンターに飾られた花を囲む形でカウンター席として利用される大きなテーブルが一つと、奥に建物の壁の凹みを利用して少しだけ隔離されたスペースになるテーブル席が一つだけととても小さい。今はカップルが一組と女性連れの三人がメインテーブルの二辺に並んで座っているだけだった。
 視線を彷徨わせてから迎えてくれた女性に「予約した春田です」と申し出る。
 こころなしか名前の部分が小さくなってしまったのは、他人としての遠慮と紡いだ音の久しさへの照れだ。
「どうぞ。お連れ様がお待ちです」
 然の方が先に来ているとは思わなかったので一瞬息が止まってしまった。どんな顔をすればいいのだろう。しかし考える暇もなく、女性が奥のテーブル席へと私を先導する。途中でこちらに背を向けるように座っていた然が気づいたのか、肩越しに振り返った。そして情けない顔で笑う。
「来ないかと思った」
「……どうして。今日は、私が誘ったのに」
 来ないわけがないじゃない、と続けたかったのに、もはや言葉にならなかった。突如、自分でも理解しえない感情で胸がいっぱいになりなぜか泣きそうになった。
 促されて、ぎこちなく向かいの席に座る。
「お待たせ」
「いや、俺が早く着いただけだから。仕事、平気だった?」
「うん」
「えっと、食べたいものとかある?」
「ううん。なんでも」
「なら、適当に頼むけどいい?」
「……うん」
 何をどんなふうに話せばいいのか、その加減も距離感も未だ手探り状態にある。私はろくに言葉も返さないまま、注文を然に任せたきり黙ってしまったが、それでも然は私が好みそうなものから頼んでくれた。好き嫌いはお互い十分に知っているし、私がカニアレルギーだということもわざわざ言うまでもない。
 そして、スパークリングワインが運ばれてきた時、初めて自分から口を開いた。
 とりあえず乾杯かな、と独り言のように呟いた然に、私は頭を下げる。
「……あの、昨日は本当にありがとうございました」
 なぜかそれは畏まった言い方になってしまい、結果コマが振り出しに戻ってしまったことを知る。
「いえ、僕の力不足もあって神谷さんには嫌な思いを」
「そんなこと! そんなこと……ありません。十分……」
「とにかく神谷さんが無事で何よりでした。実は今夜、余計なことをしたと怒られるんじゃないかって覚悟してたんですけれど」
「……そんなこと」
 様々な想いが交錯して、私は同じ言葉しか発せられなかった。
 然の尤もな行動にさえそんな気を回させるほどに、私は彼を今まで不当に扱ってきたのだ。申し訳なく思うより恥ずかしい。
「ところで、昨日の今日ですが、あれ以降大河内先生から連絡はありましたか?」
「いいえ」
「そうですか。秘書の太田さん経由で少し圧力をかけておきましたから、もうちょっかいを出してくることはないと思いますが、それでいいですよね?」
 窺うような口調だったが有無を言わせないものがあり、私は小さく頷いた。こちらとしても現金な話だが大河内が本を書いてくれないのなら、別に無理をしてまで繋がっておく必要はない。
「確かに、女性はそれを武器にできないことがないとは言い切れません。実際にそれで仕事を取っているケースもありますから。でも、僕はできれば神谷さんにはそういう仕事のやり方をしてほしくは……」
「あのっ!」
 私は強めの口調でそう言うと勢い込んで、それまで俯き加減だった顔を上げる。
「あ、すみません。いらぬおせっかいでした」
「ち、違います……じゃなくて……違う」
 誤解した様子で、今度は然が視線を外した。
「違うの。……そんな話し方じゃなくていい。普通に話をしてくれていいから。前みたいに梓って呼んでくれて、いいから」
 私は声も絶え絶えにそう頼んだ。いや正確には然に許可をした形になった。馴れ馴れしく呼ばないでなど言った手前とどこまでも意地っ張りな性格のせいだ。
「昨日は本当にありがとう。正直助かった。来てくれて、嬉しかった」
 私は仕切り直す意味も込めて、もう一度頭を下げた。深いお辞儀に、髪が滑って顔が隠れる。それはまるで慣れない自分の素直な言動に、赤くなっているであろう顔色を隠すカーテンだ。そんな私がやはり珍しいのか、然は少しの間、言葉を失っていたようだったが、やがて、うん、と優しく頷く。
「だな。昨日の話はもうやめよう。せっかくの席なんだし」
 とは言ったものの話が続かない。テーブルの端に置かれたキャンドルの蝋が溶けていく様を観察できるほどだ。そのうちに注文した料理が運ばれてくる。
 俯き加減でもじもじしている私たちは、傍から見れば知り合ったばかりの初々しいカップルに映るのかもしれない。けれど、盛り合わせを取り分ける際の遠慮はなく、前菜の皿に二つ載っていたミニトマトは断りなく二つとも私が食べたし、逆にマリネは然にあげた。ミニトマトが好きではない彼と酸っぱいものが苦手な私。それらは今も健在らしい。
 しかしどうにも会話が弾まない。弾まないというより何を話せばいいかわからない。懐かしい話でも始めればいいのか、会わなかった間のことを埋めればいいのか、それとも過去のことなどまるで関係なく今を話せばいいのだろうか。
「最近、どう? ってのも、おかしいか」
 先にしびれを切らしたのは然の方で、そう言って苦笑する。
「そうだね。近況って言ってもね」
「元気なのも仕事を頑張ってるのももう知ってるし。最近どんな仕事をしてるのかも、少しはわかる」
 皿の上でフォークを遊ばせながら然が言う。その目が伏せられているのをいいことに、私は彼の顔をまじまじと見た。相変わらず長いまつげだ。
「あげる」
「ん」
 パテが好みの味ではなかったので、食べさしにも拘わらず向かいの皿へ移すと、然も同様にそれを気にすることもなく、おいしいのにと言いながら口に運んでいる。
 然が目の前にいることは当たり前のようでもあり、同時に不思議でもある。
 普通に話をして食事をしている。幸せだったあの頃からすれば難なく、この六年間を振り返れば二度とありえない光景だった。
「そう言えばさ、プリシモの仕事、あれマジで助かった」
「ううん、私の方こそ感謝してる。あんなに大きな仕事をさせてもらえるチャンス、めったにないもの。おかげで最近仕事が楽しくてしょうがない。売れ行きもすごくいいんだってね」
 と言ってから失言だと後悔した。この話題の先には必然的に行くつく人物がいる。
 綾のことで然に聞きたいことはあった。しかし、できることなら今はその話をしたくない。昨日の夜からずっと、綾のことは考えないようにしている。
 それは、ついさっきまさかの告白を受けた田崎にも言えることで、身勝手な考えだと言われても、誰にも邪魔されたくない思いが強い。
 どうせ今夜だけなのだから。
「おかげさまで、プリシモは今んとこは調子よく売れてる」
 そう言ったきり私の心配をよそに話は新しく次へと変わる。そしてそれ以降も、二人の名前が出ることはとうとうなかった。
 最初の不自然さが嘘のように、昔のことも今のことも新旧問わずに話は尽きず、店は早くもラストオーダーの時間を迎える。最初はグラスを度々注文していたワインも、終いにはボトルを二本も空けた。それでも店を出て、急な階段を上がるときも私は一人でしっかりと歩けたし、然に至っては素面かと思うくらい変わらない顔をしている。
 しかし、確かに酔っている部分もあってこの後のことを考えたときずいぶんと大胆な私がいた。ここを出てどうするのだろう。これ以上飲めば、お酒に飲まれてしまいそうだ。けれど、このまま帰る選択はしたくない。
 綾のことも、田崎の告白も、全てを無視してしまいたい。酔いは簡単に人を惑わせる。もうどうなってもいい、と思ったとき、
「タクシーで送る。家、どの辺り?」
 然には珍しくきっぱりと答えを出した。今までなら必ず、どうする、とまずは聞いてきたはずなのに。驚きと落胆とで、一瞬言葉に詰まった私に、
「住んでるところ、やっぱり俺に教えたくない?」
「えっと……ううん、そうじゃなくて。その、まだ電車あるし……その……」
 然は苦笑し「したら、駅まで一緒に」
 そう言って歩き出した。言いたいことを伝えられるほど、私は理性を失えていなかった。
 途中、クリスマスイルミネーションが派手に施されているファッションビルの前を通る。
「もうすぐクリスマスだな。て言っても、仕事だけど」
「私も仕事」
 忙しいのに早帰りばかりしているせいで仕事はどんどん溜まるばかりだ。今、考えたところで無駄であるにもかかわらず、あれをああしてなどと段取りを組んでいると、歩みが緩まる。
「あの、さ……、田崎先生だけど」
「な、何……?」
 突然に登場した名前に、私は一瞬で酔いから醒めた。
「知ってるんだろ? 俺たちのこと」
「え、あ、うーん、う、うん……?」
「どっちだよ」
「うん。はい。知ってます」
 然が困ったように、やっぱりなと笑う。
「なんかさ、すごく挑戦的っていうか、自信っていうか……、上手く言えないけど、俺に対してそういう特別な含みを感じるから」
「なにそれ?」
「愛されてる証拠だと思うよ」
 さらりと言い、また歩調を元に戻す。私ですら今日知ったというのに、然はすでに田崎の気持ちを知っているのか。動揺して、私はなんとか話題を逸らそうとしたが、あろうことか一番触れたくないところに話を振ってしまう。
「あ、綾さんは? 綾さんこそ、私たちの事知ってるの?」
「綾?」と一瞬、不思議そうな顔をして、
「言ってないけど……そうだな、言わなきゃならないな」
 そして、少しの沈黙があってから、脈絡なくぽつりと呟く。
「やっぱり、時間なのかな。梓とこんなふうに話せること」
 その言葉にぎゅんと胸が熱くなった。
「いや、時間ももちろんだけど、一番は環境の変化だろうな。良くも悪くも」
 私はろくに相槌も打たずに話を聞いていた。思考はふわふわと定まらず、その内容も意味もきちんと理解しないままに会話が進んでいく。ここへきて、酔いがまわってきたのかもしれない。
「梓は今、幸せなんだな。だからこうやって……」
 最後までは言うことなく、私に向き直った。
「ともかく、これからもこうやって話したり飲んだりできたら嬉しい、俺は」
「……うん、私も」
 かろうじてそれに同意すると、然は確かに満足そうに笑った。


BACK TOP NEXT
PR
   
Comments
NAME
TITLE
MAIL (非公開)
URL
EMOJI
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
COMMENT
PASS (コメント編集に必須です)
SECRET
管理人のみ閲覧できます
 
Copyright ©  -- Puzzle --  All Rights Reserved

Design by CriCri / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]