忍者ブログ

佐久間マリのオリジナル小説ブログ 18才未満の方の閲覧はご遠慮ください

   
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

チョコレイト・ラブ 46

46




 携帯電話が鳴ったのは、その日の夜二十一時を過ぎていた。
 田崎の家を出た俺は再び会社へ戻って仕事を片付けていた。忙しすぎる日常に嫌になることも多いが助けられている部分も多くある。他のことなど考えられないくらい没頭できる仕事が今はありがたい。頭を切り替えるためにも、かけていた眼鏡を外し、机の端に置いてあった携帯電話を手に取った。
 通話ボタンをタップしようとして、しかしその画面に梓の名前を見つけて驚く。
 あのパーティーの夜以来、連絡は互いにしなかったし顔を合わせることもなかった。俺自身、努めて梓に気が向かないようにしていたし距離を置こうとしていた。おそらく梓もそう思っているだろうと思っていたのに、メールでもなく、わざわざ電話をしてくるあたり何か急ぎの用事なのかもしれない。数秒迷った後、結局、俺は電話に出た。
「何? どうした?」
『あの、然のマフラーね、ずっと借りたままで……』
「……えーと、貸したっけ?」
『ほら、雪の日、赤はちまきからの帰り』
 言われてようやく思い出すことができた。紺色の無地のマフラーだ。荷造りの際に出て来でもしたのだろう。
『返さなきゃと思って。……いつか、会える?』
「あー……」 
 答えに困った声が、椅子にのけぞって仰いだ無機的な編集部の天井に広がる。
 マフラーなど他にもあるし、現にすでに違うものを使っている。もちろんこれが少し前ならいい口実だとすぐにでも会う日を決めていただろう。
「捨てちゃってくれてもいいよ」
『えっ、そんな……勝手に捨てたりなんかできないよ!』
 意外にあっさりと口から出た言葉に梓は声色を高くして言った。借りたものを捨てるなど良心が咎めるのだろう。かつてのように毛嫌いされていた頃ならわけなかっただろうが。
「じゃあ、タケんとこにでも預けといて」
『……仕事、忙しいの?』
「いや、うん、まあそれなりに……」
 ともすれば避けているともとれる言動に、梓が訝しんでいるのがわかる。
 むしろ、あんな告白やキスをしておいて、避けられるのは俺の方だろうに。
「今日は田崎先生のところへ行くんだろ?」
 決まりの悪さと、やはりこの好機がまだ惜しくて、どうでもいいむしろ聞きたくもないことを切りだしてしまう。
「いやさ、さっき田崎先生の家にお邪魔したら梓が来るって言ってたから。土産にプリン持って行ったから食べて。そういえばバレンタインのチョコレート、手作りなんだって? 上手くできたのか?」
 余計なことを無様なまでにべらべらと話してしまうのは、少しでも長く電話をしていたいというさもしい欲の表れだ。なかなかに想いと言動は一致しない。隙さえあれば引かれそうになる後ろ髪を積極的に断ち切る努力が必要なのだとわかっているのに。梓は俺にろくに答えないままに、『じゃあ、赤はちまきに預けておくね』と言って電話は切れた。
 なんとなく後味の悪い気分で時刻表示に戻った携帯電話を眺めていると、突然画面が変わって再び着信が知らされる。梓かと思ったのはほんの一瞬で、それは直子からだった。

 *

「あの、これは……一体?」
 駆けつけた直子の部屋は、頭が痛くなるような甘ったるい匂いが充満していた。
 どうやらチョコレートを作っていたらしく、いくつものボウルやヘラ、ハートの型などが台所のシンクに乱雑に突っ込まれている。リビングで机に向ったまま、俺の方も見ずに直子が言った。
「悪いんだけど、それ片付けて」
「は、はい? これをですか? な、なんで僕が?」
「今、ノッてるのよ!」
 確かにこの部屋に入った時から聞こえるタイピングの速度は半端ない。何を書いているのは知らないが筆が走っているのだろう。編集者として作家にとってそのタイミングを逃さないことがどれほど重要なこともよくわかるし、喜ばしいことであるとも思うのだが、それにしてもなぜ俺がと思わずにいられない。
 とにかくすぐ来いと電話で言われて、残っていた仕事もそっちのけで慌てて来たのだ。
「……はぁ、わかりました……」
 担当の編集を呼べばいいのに、と心の中で悪態をつきながらも覚悟を決める。作家には逆らえない定めだ。
「さっきまで神谷ちゃんがいてたんだけど、急に神が降りてきたから、帰ってもらったの」
 コートとスーツの上着を脱ぎ、袖を捲り上げたところで、直子が言った。
 相変わらず視線はパソコンの画面に向かったままだ執筆を邪魔してはいけないし、独り言とも取れたのであえて返事をせずに片付けを始めると、
「あんた、今、神谷ちゃんの作ったチョコが食べたいなーとか思ってたでしょう。フラれた者が何を言うかよ」
「いや、思ってませんし……。ところで味、大丈夫なんですか」
「私の監督下で作ったんだからおいしいに決まってるじゃない。大体、もし激マズだったとしても食べられるでしょ、愛があるなら」
「そうですね。胃は丈夫だって仰ってましたし、田崎先生」
 かつて一度だけ経験した梓とのバレンタインデーは、何を血迷ったか、その時も手作りしようとして散々な結果に終わっていた。本当に好きだという気持ちを表すのには手作りであることが彼女の絶対条件らしい。鍋に焦げ付いたチョコレートをなんとかこそげて食べてみたが、それはビター過ぎるにも程があり、半べそをかく梓と夜中にコンビニへ代替え品を買いに行った。すでに値段が半額になっていた小さなチョコレートのケーキを買って、いつもあの食べ方で食べたことを思い出す。
「ねぇ」
 キーを打つ手を止め、直子が椅子を回転させてこちらを見た。
「ラストなんだけどさ、ハッピーエンドとバッドエンド、どっちが売れると思う?」
「そりゃ掲載誌、読者ターゲットにもよりますので一概には言えませんけど」
 この解せない状況を知るためのチャンスとばかりに、何を書かれてるんですか、とついでのように尋ねてみた。ご機嫌、調子を損ねることなく、作家の気分の波に合わせるのはなかなか難しい。
「チョコレート作ってたら急に閃いたの」
「バレンタインものですか」
 ベタですね、という文句はもちろん心の声だ。
「ばか言わないでよ。そんな三文小説、私が書くわけないでしょ」
 言い捨てて、くるりと机に向き直る。かちりと音をさせてクリックしたかと思うと、隣のプリンターが動き始めた。直子が伸びをしながら立ち上がる。
「これ、神谷ちゃんの新刊にしようかなーと思って」
「ああ、あの時の埋め合わせですか」
 思えば、梓と再会するきっかけになった一件だ。ほんの数カ月前のことなのに、あの日ホテルのエレベーターで鉢合わせした時のことが遠く思い出された。
 またもや梓を傷つけてしまったことをひどく申し訳なく思いながらも、嬉しくてしかたなかった。梓の幸せを一番に考えているといいながら、なんと自分勝手なのだろう。
「書くって約束したからね。神谷ちゃんが仕事を辞めるまでに間に合えばいいなって思ってたけど、この調子ならなんとかなりそうだわ」
「いい話を書いてやって下さいね」
 作家に対して失礼な言い草ではあったが、もちろんよ、と即答する直子に安堵する。俺が作った本より更に上をいく作品が望ましい。梓の喜ぶ顔が目に浮かぶ。
「でもね、ラストがまだ決まってないの」
 あろうことか直子はコーヒーを飲みたいと洗い物をしている俺に要求してくる。言われて、早速手を拭いている俺はまるでお手伝いさんだ。ユキはバイトらしい。
「まぁ、とりあえずアンタに預けるわ。一度読んでみてよ」
「俺が読むんですか? 担当じゃない原稿を読むのはちょっと……。梓もいい気はしないでしょうし」
「まぁ、そう言わずに」
 直子は穏やかに言った。プリントアウトした原稿をクリップで綴じている。
「ねぇ、チョコレートを作るときに、一度溶かすの知ってる?」
「ええ。たしか、テンパリングでしたっけ?」
「男のくせに、そんな専門用語知ってんじゃないわよ」と直子が嫌な顔をするが、聞いてきたのは自分だ。俺はこれみよがしに肩で大きく溜息をつき、今はダイニングテーブルに席を変えた直子の前にコーヒーを置いた。自分もカップを持って、差し向かいに腰を下ろす。
「ほら、割れたお皿はたとえボンドでくっつけてもヒビは消えない。完全に元の形に戻ることはないとかって例えるじゃない?」
「ああ、言いますね。ヨリを戻したい同僚がそんなことを言って悩んでましたよ」
「それは間違いではないと思うの。でもね、一度砕いて、粉々になったものを溶かして再び完成形になるものもあるのよ。さっきそれに気づいたら、今まで書いてたストーリーが急に命を持った」
 目の前に原稿が差し出され、俺は冒頭に書かれていたタイトルを読み上げた。
「……チョコレイト・ラブ」
「そう。だから、チョコレイト・ラブ」
 直子が、大きな瞳を楽しそうに輝かせる。
 一応のラストは私の中で決まってるんだけど、と前置いてから、
「ま、とにかく読んでみてよ。男のヘタレっぷりがそれは情けないから」


BACK
 TOP NEXT



PR
   
Comments
NAME
TITLE
MAIL (非公開)
URL
EMOJI
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
COMMENT
PASS (コメント編集に必須です)
SECRET
管理人のみ閲覧できます
 
Copyright ©  -- Puzzle --  All Rights Reserved

Design by CriCri / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]